しかも 最近になって残されていた 350冊以上のスケッチブックの研究も進んでいてどのように個性あふれる作品が生まれていったのかその秘密が少しずつ見えてきたという そこも気になりますよね。 一体 どうやって その個性を開花させていったのかスケッチブックから読み解いていきましょう。 片岡球子先生と富士山のスケッチご一緒させて頂いた事あるんですよね。 片岡球子さんのその~ 何百年か前の取材をきっと彼女はタイムトンネルを通って取材に行ったんでしょうね。
小学校の先生をしていたころに描いたスケッチブックを見るとおとなしそうな子それから勝ち気そうな子などまあ 生徒の繊細な内面に寄り添ったような表現が多く見られるんですね。 卒業の時に 球子が描いてくれたスケッチを 今も宝物にしています。 もう いい授業をすれば 結局 いい絵を一枚描いたっていうふうに子供たちの個性を生き生きと表そうとスケッチを重ねた球子。
「歌舞伎南蛮寺門前所見」辺りから一つのテーマを描くために無数のスケッチいわゆる取材を重ねて 自分のイメージを作り上げていくという制作のスタイルが固まってくると思うんですね。 片岡球子さんってものすごいリアリズムを追求なさった方だと思うんですよ。 球子さんの リアリズムの追求のしかたというのがあのスケッチの量というのは やはりそこに近づいていくための一つの手段だったんですかね?そうですよね。