時代を楽譜に刻んだ男 山田耕筰

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この番組のまとめ

「赤とんぼ」や「この道」で知られる作曲家 山田耕筰。 なんとドラマチックで 波乱に満ちた人生を送ったのだろう小さい頃 音楽の時間によく歌った 山田耕筰の歌。 だが こんなにも魅力的だとはこれから 私が歌う山田耕筰作品のリハーサルが始まる♪「負われて見たのは いつの日か」だから しゃべれるように歌えるんですよね。 それから山田耕筰さんが住んでいたのはBの6番っていうとこでケイト・ヤングマンさんの所でございます。

さすが山田耕筰だ。 当時 ベルリンを席巻していたのはリヒャルト・シュトラウスのオペラやマックス・ラインハルトの演劇これは 耕筰が ベルリンで使っていたメモ帳。 ベルリンから帰国した耕筰は凱旋演奏会を開催。 「『曼珠沙華』GONSHAN GONSHAN 何処へゆく忘れてた…。 作曲という仕事を 忘れてた!山田耕筰!貴様… 俺の「曼珠沙華」を…。 山田耕筰とならひとつ 大いにやってみよう!今の世を映し出す「言葉」とそこに旋律を付けた「歌」の魅力。

日本の開国を迫る アメリカ総領事と昭和16年12月太平洋戦争 開戦。 耕筰は 軍部や政府中枢に近づき軍歌を次々と発表するなど更に 自ら「音楽挺身隊」を組織しあ~… ああ なるほどね。 失礼します!山田耕筰先生演奏のお時間です。

ついには広島 長崎への原爆投下を受け昭和20年8月15日 敗戦を迎えた戦後 間もなく音楽評論家 山根銀二が山田耕筰を典型的な戦争犯罪人であると糾弾。 しかし 近年 ある音楽家がこれまでとは違う耕筰像を証言しています。 山田家の養子に入り耕筰が亡くなるまでの7年間僕も一つ伺いたかった事はお兄様が イギリス人の方でご本人は ドイツで勉強されてまして カーネギーに行ってアメリカとも通じていた方が2次の大戦をね 本心の部分ではどんな事を感じてらしたと思われますか?戦争なんかしてほしくないですよね。