ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ #2「SFは何を夢見てきたのか?」

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この番組のまとめ

「20世紀少年」が舞台とし…デロリアンで タイムトラベルした年に私たちは生きている。 日本中が熱狂したあの時果たして そこで何が起きていたのか?今宵は 時空を超えてニッポンSFの想像力を巡る旅へ出よう。 ナビゲーターは…SF小説のアンソロジーも手がける筋金入りのマニアにして自称「SF屋」だ。 受講生はサブカルを愛するジャニーズ…SFが愛読書!書評も手がけるアイドル…そしてSFコントもネタの一つ。 …など海外の 大人向けSF小説がオリジナルの空想科学マンガを次々と描き出した。

「鉄腕アトム」「エイトマン」の脚本を担当した SF作家豊田有恒さんは当時を こう振り返る。 テレビで 科学的ストーリーを何か できないか?金城哲夫と共に SF作家たちにアイデアを求めた。 夜7時のゴールデンタイムに怪奇現象と怪獣がお茶の間を席巻した。 日本のSFカルチャーは得意分野であるマンガ アニメ特撮とともに ブレークし独自の発展を遂げていく事になる。

こういう児童ものがたくさん出て人気を集めるようになったと同時にですね「SFファン」という存在が生まれるようになって初めてのSFファンのお祭りというかそういう イベントが企画されてそれまでは それぞれファングループ単位で好きな人同士が5人とか10人とか 喫茶店で集まって隅の方で ぼそぼそ しゃべるとかですね「手の新刊がさ」とかっていう話を ぼそぼそしてたんだけど初めて 全員が 一気に集まるようなイベントっていうのが目黒で開かれてこれが その「MEG−CON」というですね 名前で「CON」っていうのは 「コン

カプセルによるユニット部屋で未来のファッションショー。 史上空前とも言われた 大阪万博。 …へ ようこそ!美術界の鬼才 岡本太郎と共にSF界の巨匠小松左京が日本のテーマ館のプロデュースに参加。 太陽の塔の中に展示された「生命の樹」そして この展示のデザインを担当したのはウルトラマンや怪獣のデザインをしていた画家 成田 亨だったのだ。 SF作家の星 新一 矢野 徹福島正実が アイデア協力。 戦後 急速に発展した日本の科学技術をプレゼンする。

当時はですね いろんなパビリオンで何をやってたかっていうと当時 僕が感動したのはやっぱり 映像関係ですね。 そこで また いろんな映像を作ったりしてるんですけどこの 三菱未来館は 映像担当が円谷英二だったんですね。 その円谷英二が作った晩年の円谷英二さんが作った最後の作品ですね。 円谷英二が 最後に作った映像というのがありますのでちょっと見てみましょう。

すごい 全部が合体した!1970年3月号の「少年マガジン」の表紙を飾ったのは手治虫が描いた「万博怪獣 エキスポラ」。 「万博怪獣エキスポラ」ですけどちょうど 手さんの解説がついてましてですね。 大阪万博期間中 実は その裏でSF作家を中心に日本の第一線の作家たちがそれを支えた。 国際SFシンポジウムの最終日にこんな共同宣言を発表している。 こんな時 人々の興味はどこへ向かったのか?1974年 「ノストラダムスの大予言」。 16世紀 フランスの予言者 ノストラダムスの予言を解釈した本である。

これだけ見るとね万博が終わったら一気に暗い方に行ったっていう感じがありますけど万博までは 万博ムードっていう何となく 皆 お祭りムードの中でとりあえず あまり 見ない事にしようみたいな感じでいってたのが 万博終わった途端に一気に反動というか破滅ものとか そういうものがすごく人気を博すようになって「日本沈没」も 400万部とか日本SF史上 最大のベストセラーになってますけど日本が沈むという話を みんな先を争って読んだわけだしそういうのと ノストラダムスとかいろんなものが一緒になって何となく終末感というか未来