ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ #3「深夜テレビの伝説」

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この番組のまとめ

「オールナイトニッポン!」。 「オールナイトニッポン」が…。 風間さんの「オールナイトニッポン」。 お~!「風間俊介のオールナイトニッポン」。 「オールナイトニッポン」の…。 元曲よりも もうこの曲を聴いたら「オールナイトニッポン」。 僕の時代から これなのよ「オールナイトニッポン」。 僕の時代ってのは 僕が…「オールナイトニッポン」1967年に始まるんだけども僕は 69年から聴いてんのね。

生放送によるミッドナイトワイドショーがいかに型破りだったかが見て取れる。 いわゆる メインタイトルがザッと始まってる 並んでるんだけどね。 これでね 途中からいくつか出てくるんだけどこの「ボイン」っていうね…「ボイン」… 「ボイン」付けたタイトルのがねあるんですよ。 1964年創刊の男性週刊誌「平凡パンチ」。

で まあ この夜更け深夜の時間帯にとって1973年に 中東戦争からオイルショック 石油危機が起こってその年末ぐらいからちょっと 電気節約しようとかいうのがあって深夜のテレビ番組やらなくなったんだよね。 で まあ この「オールナイトフジ」はやっぱり 女子大生と共にとんねるずを売り出した番組だよね。

その手の 今で言うクラブみたいなものは12時過ぎたらやっちゃいけないってそういう 風紀上の法律の改正があってその流れで国会で どっかの議員が今 エロが過熱する 深夜番組はいかがなものか みたいな事を当時 まだ ほとんど世に知られていない芸人や劇団 ミュージシャンがゴールデンでは発表できない放送ギリギリの曲やネタを披露した。

で 87年かなフジテレビが JOCX−TV…「2」って書いて 「ドゥー」ってフランス語調に読ませるらしいんだけど深夜帯を 一つのサークルにして開拓していこうっていうんで若い放送作家とかディレクターを登用して斬新な番組を作らせるんですよね。

今のような「空から東京MAP」的な延々と そういう映像を流してるんでいわゆる バブル期に一つ出てきたものでもともと あの 業界的には「フィラー」とか呼んでてね。 僕 そのころ自分で コラムに書いた事を今 思い出したんだけどもテレビが もう この時代手軽なものになって例えば 1人暮らしOLさんなんかがワンルームマンションで1人暮らしした時に戻ってきた時に とりあえずつけとくものなんですよね。 この時代の深夜テレビは一つの美学を世に問うていたのかもしれない。

僕の世代は やっぱり深夜帯の番組やっぱり さっき言った背徳後ろめたさを求めてるんで。 そうですね やっぱり今の時代視聴率とか気にしてたりとかして「ネタの時間が短い」とか「これ言っちゃ駄目」「あれ言っちゃ駄目」っていう制約がありすぎてそういうの取っ払ったある程度 ルールのある中の面白い番組を作っていきたいなという気持ちはありますよね。 西田君は どうかな?今の時代って 「コンプライアンスが…」とか言われるじゃないですか。