ミュージック・ポートレイト「秋元康×黒木瞳 第1夜」

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この番組のまとめ

高度経済成長の真っただ中戦後復興のシンボルになった東京タワーが完成した1958年。 何か こう 子どもの頃父の忙しそうな…遅くに帰ってきて ビールを飲んでネクタイ緩めてっていう姿と敗戦からの日本をつくろうという一生懸命やってる時に何か こう そんなに 肩肘張るなよ楽しくいこうぜって言って無責任男っていうある種 逆説のメッセージで黒木 瞳は 1960年福岡県八女郡黒木町で生まれました。

何かね お兄さんがいる賢い子たちがいてその子たちが キーワードとして東大文一だとか上級公務員試験だとか大蔵省だとか天下りだとかっていうのを多分 それでそういうのを聞いてそういうものなんだろうなと思ってましたね。 官僚を目指した秋元は最難関 開成中学の受験に挑戦。 夢は夢で 自分は 堅実に大学入って公務員になろうというふうな。 じゃあ 今でも 「風と共に去りぬ」「タラのテーマ」とか聴くと中学時代に出会った一本の映画が黒木 瞳を女優の道へと導いたのです。

当時 ダンスフロアで一番人気だった この曲が青春のテーマソングになりました。 夜な夜な ディスコですよね 当時。 そんな… ディスコがラジオ体操っていう事ないでしょう。 だからその部分の記憶が「恋するフォーチュンクッキー」とか「ハロウィン・ナイト」でみんなが同じ振りをするっていうのはその時の…。 バラエティー番組の発想と若者言葉の活用で「なんてったってアイドル」「雨の西麻布」などヒット作を連発します。 自らプロデュースしたアイドル おニャン子クラブを番組からデビューさせて 大ブレーク。

入学して2年休む間もなくレッスンに明け暮れて宝塚音楽学校を卒業。 宝塚を代表するスター大地真央の相手役。 新人なのに なぜ?黒木 瞳の宝塚の色に染まりきっていない新鮮な魅力が大地真央に認められたのです。 大地真央とのコンビが評判を呼び次々と役が決まります。 異例のスピードで娘役トップスターに上り詰めます。 センターの重圧と闘いながら娘役トップスターを務めて2年。 自分が初めて何か… 何だろうな?舞台に立ってるっていう充実感を味わった作品だったんです。