団塊スタイル「いつもそばに歌がある~ペギー葉山(81)〜」

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この番組のまとめ

ところが 目の前に現れたのは天才少女と呼ばれた江利チエミさんでした。 今日は ペギー葉山さんのこれまでの足跡を通じて懐かしい名曲の数々そして 今のペギーさんの生き方に迫っていきたいと思います。 進駐軍クラブとはどんな場所だったのか?長年 ペギーさんと親交のある音楽評論家 安倍 寧さんです。 10か月前に「家へおいでよ」と「テネシー・ワルツ」で デビューした江利チエミさんです。

でも進駐軍というと 何かとっても刺激的な印象が その当時 特に。 昭和30年 ハワイのナイトクラブでの出演依頼を受け帰国したペギーさんは 自らの目標をミュージカルの世界に定めます。 当時 日本では あまり知られていなかったミュージカルを中学生の頃から異彩を放ち始めたペギーさんのファンだったと言います。 昭和33年 NHK高知放送局の開局記念番組としてそれが「南国土佐を後にして」でした。 更に ヒットを見込んでこの頃 普及し始めたこの頃は どこへ行っても「南国土佐」のペギー葉山。

さて それと ドレミの世界と変わって「南国土佐を後にして」です。 もう全部 「南国土佐」一色になってしまって。 とってもだからあの時無愛想に私 「南国土佐」歌ったのね。 それが ヒットしちゃったから今もね この歌は無愛想に歌っちゃったからニコニコ笑って歌ったらいいかなどうしようかなって。 ブラジルも行きましたし外国に随分「南国土佐」歌いに行って。 そうしたら平川唯一さんってね「カムカム英語」の方が「ペギーさん 外国に行くんだったら英語の歌で歌った方が面白いんじゃない?」。

自分の仕事は仕事できちっと されながら介護をしっかりされているというよくそういう生活ができましたね。 一日でも長くね生きてほしいと思っていたんですけれど毎晩 「今日も一応 彼は元気でいられてよかった」って思うのね。 ドレミの歌は ♪「ララララ…」♪「南国土佐を」って♪「Now you’re singingwith a swing」間奏の間 椅子に座り込みました。 60年以上 ステージに立ち続けた事で腰が悲鳴を上げ2年前に椎間板ヘルニアを発症。