ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ #5「ヘタウマって何だ?」

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この番組のまとめ

ニッポン発祥の これらの絵を見て一体 何を感じる?生み出した 当の日本人たちにさしたる意識がないままに今…その名は…1970年代末から80年代にかけて脚光を浴びた この感覚!不真面目なやつにも逆転のチャンスがあるっていうのが表現だと思うわけよ。 ナビゲーターは 編集者・写真家として現代美術から珍スポット探訪までジャンルを軽々と横断してきた…♪~湯村輝彦のポスター 通称「ヘタウマ・ビーチ」。

で 地道に ずっと集めてきて去年 フランスで すごい大きなヘタウマの展覧会をやったんですよね。 でも これでこの「ヘタウマ」だったのが…浮世絵はさ 日本では 全然ただの 当時の漫画っていうかただの イラストだったわけじゃない?それで 日本人は 何の価値も認めてなかったわけよね。 その あおりを受けて当時 挿絵画家として認識される事が多かった「イラストレーター」という職業が注目され始めた。 1965年 和田 誠 横尾忠則らが日本初のイラストレーターによる組織「東京イラストレーターズ・クラブ」を発足。

ある日 暇を持て余していたペンギンに突如 訪れる 摩訶不思議な出来事。 南は このヘタウマという感覚はニッポン人と深い関わりがあると感じた。 「ヘタウマ文化」は新しい表現の革命だったのか。 重宝されるけど 本当の意味の人の心っていう意味…ビジネスではないところにいったらヘタウマになるんじゃないかなあと思います。 若干 お笑いで言うとヘタウマに嫉妬があるんですね。 ウマウマだったら またそれはそれで出れるんですけどヘタウマに負けちゃうっていうのがあるので若干 嫉妬あるんですけどヘタウマのすごさも分かります。

そこで 湯村さんの順位はというとですね1位が 「ヘタウマ」なわけよ。 自分のヘタウマ観はここに出ているみたいな感じだったんですがやっぱね日本では ヘタウマなんですけどもさっき 風間さんが言ったようにいろんな事がアートになっちゃったヘタウマっていうのもあるわけですよね。 アメリカでは それが「ニュー・ペインティング」って言われてたしフランスでは 「フィギュラシオン・リーブル」とかドイツでは何とかとかイタリア何とかってあったんだけど例えば みんなもよく知ってるやつだとこのキース・ヘリングとかですよね。

ハードロックになって プログレになってもう 百何十何小節目で転調ねみたいな感じ。 だんだん シングル作ってたのがコンセプトアルバムとか言いだすわけじゃない それが。 絵柄で うまくなったけどいまいち 好きじゃないとか「あれ このキャラクターのかわいさがむしろ失われてる」みたいな連載作品 あったりしますよね。 「ペンギンごはん」の衝撃を受けたマンガ界ではヘタウマ的作品を発表する作家たちが続々と登場した。 その一人が つげ義春や前衛映画に影響されシュールで不条理なギャグ漫画を描く蛭子能収である。

雑誌「ガロ」でデビューした根本 敬は湯村輝彦の画風に影響され漫画家の道に入った。 根本が生み出したキャラクター村田藤吉。 そんな根本は ヘタウマの衝撃をどのように受け止めたのか?どうですか?根本君が さっき言ってたけどかっこ悪いものとかさそういうものをなんとか うまく見たいって言ってたけど僕たちの大多数はかっこ悪いわけだしさモテないわけだしいろいろ悩みを抱えてるけどそういう世の中をさ何か違うように見れたらねいきなり 人を刺さなくてもすむかなっていう。

「ウマ」なんて必要ねえ それがうまいって事だ みたいなのを特に ヒップホップは超 そういう音楽だから全く 同じようなものとして見てた僕は ヘタウマみたいな事が。 アメリカの画家 デイブ・デブリースがめいっ子のお絵かきにインスピレーションを得て 始めた このプロジェクト。 少女漫画で応募し続けてもなかなか受けないので大学で漫画研究会に入ってアニメを始めて今さ アニメとかCGというのはすごい事になってるわけじゃないですか。 フォルダーというのはこれ クリアファイルですかね。 クリアファイルに描くわけ。

♪「前髪を 切りすぎた前髪を 切りすぎた」♪「前髪が 短いの前髪は 行方不明」♪「」初期衝動を持ち続けるというのがヘタウマの精神なんですよね。 石川次郎は2007年から現在までに数百点にも及ぶ アートブック 漫画を自費出版し続けている。 これは また違う早川さんという方ですけれどもこれはもう みんな若い…ヘタウマに影響を受けて根本君や蛭子さんを読んで育ってきた時代ですよね。