ETV特集・選「薬禍の歳月~サリドマイド事件50年〜」27年度文化庁芸術祭参加

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この番組のまとめ

事件をめぐる裁判は10年 争った末国と製薬会社が責任を認め和解に至りました。 去年 国は 和解以来 初めて健康問題について 大規模な実態調査の結果を公表しました。 サリドマイド事件が 和解に至った時「二度と薬害を野放しにしていかない」。 サリドマイドの事件の当事者として生まれてきた私たちだからこそ幸せとは何か 自分たちはどうだったのかという事を考える事が 非常に意味のある事だと思ってます。 その翌年 日本の製薬会社もサリドマイド剤の製造販売に乗り出します。

両腕の大部分がない状態で生まれた市川さんは幼い頃から施設を転々としました。 スチュワーデスの方が家族が待合室に来ているのでご案内しますというふうに言われて。 責任の明確化と損害賠償を求める裁判を続けていました。 しかし 国と製薬会社は薬と障害の因果関係を認めず裁判は長期化しました。 和解で決まった賠償は裁判に参加しなかった子供にも適用され全国で 309人が被害者と認められました。

片一方は 財力がないし早く結果を出さなきゃ 裁判自体続けられないわけだから。 父を恨むどころか 自分が招いた事なんじゃないかという気持ちは 常にありました。 全て 自分が サリドマイドとして生まれたところから始まってるんじゃないかという。 ちょうど実家に そのあと帰って父も いなくなり誰も いなくなったその家を見た時にね「ああ これが その現状やっぱり 何か こう自分の人生に期待するものが何一つ なくなった。

彼らは サリドマイドの当事者団体を通じて 結び付いています。 広島市に暮らす被害者佐藤育子さんです。 去年 国は 3年にわたって被害者の健康状態や生活状況を調査した結果を公表しました。 最新の医療機器による70人以上の検診と200人を超える被害者へのアンケート調査が行われました。 山口市の被害者 中野寿子さんは20代の頃から 広告のイラストなど絵を描く事で仕事を得てきました。 サリドマイドによって両腕と両足の欠損義足をつけて 自由に動けたというバーバラさん。

法改正の実現は 長年の被害者の訴えを受けての事でした。 自分たちの現状を理解してもらおうと被害者は行動に出ました。 およそ900人の被害者が調査に協力しました。 報告書を読んで被害者への それまでの知識は最低限だったと分かりました。 難しいのは政府内の抵抗ではなくてどうすれば最善のサポートや ニーズに合ったドイツの被害者が訴えた50年目の体の変化。 それは 日本の被害者が訴えていた症状と重なるものでした。 ドイツ社会は被害者の訴えを受け止め制度の変更を実現させました。

サリドマイド児なんて奇形児つくっておいて平気な顔している日本なんて最低の最低。 みんな嫌い!今 私の言いたい事 頼みたい事もう絶対 私みたいな奇形児つくらないで。 高岡市の実家に帰省した峻太郎さん。 薬の大切さも伝えてほしいけど正直な事 言うと 小学校の頃ある友達に 「お前のお母さん口 ちょっと曲がってるし顔が あがってるよね」みたいな事言われた事があったんだよね。 ママにとって あなたたち3人は掛けがえのないものというかこれからね 恥じない…何て言うんだろうね山口市の被害者 中野寿子さん。