ETV特集「FOUJITAと日本」

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この番組のまとめ

裸婦を描く フジタはパリで ピカソらと並んで活躍し世界で 最も有名な日本人画家となりました。 しかし 激動の時代フジタは 日本人から忘れられた存在になっていきます。 戦後 激しい非難にさらされフジタは日本を離れます。 2015年 フジタ再評価の試みからフジタが絵を学んだパリの下町 モンパルナス。 しかし乱痴気騒ぎに興じながらも画家としての高みを目指していたフジタ。 何をやってもいいんだ という事は当然 当たり前の事ですけれど…パリで成功を勝ち取り近代化したばかりの日本にはない自由な時代をおう歌したフジタ。

しかし ヨーロッパ仕込みの技術を仲間で分かち合い西洋を吸収しようとしていた当時の日本の美術界には反発する画家が多かったのです。 戦後70年の今年東京国立近代美術館で所蔵するフジタの作品全てが初めて一堂に公開される事になりました。 第二次世界大戦中軍が画家たちを動員し戦意高揚のために描かせた絵です。 フジタはヨーロッパの名画を頭に置きながらフジタが 「アッツ島玉砕」と同じころに描いた作品です。 この絵をフランスの研究者は 19世紀の巨匠 ドラクロワの作品と比較します。

…というのはほんとに局所的な事でフジタ一人に 戦争責任を負わせて逃げるなどというですね戦後すぐの日本美術界の誤った判断ですよね そこはね。 20世紀初頭に フランスで西欧文明を吸収しようとしたフジタと高村光太郎。 「『雨にうたるるカテドラル』高村光太郎毎日一度は きつと ここへ来るわたくしですイイル ド フランスに荒れ狂つてゐるこの嵐の顔があなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりにおう又吹きつのるあめかぜ」。