♪~こちらは 池田さんが選ばれた金子さんの百句について対談なさっているんですね。 池田澄子選入選九句。 時雨が来たから中止してもいいっていうのはその ご町内があんまり 犯罪なんかがない平和なご町内なのかなと朝から縁起悪いですね。 で 事故なのか 自殺なのかそういう 死者の思いなどには全く関係なくねこう 何ですか…単なる お知らせとしてのアナウンスが入ってる。 この いわゆる風雅とかそういうところから最も遠い普通の日常が詠まれているというところがいいんじゃないかと思いました。 現代的感覚だな。
「繊き時雨に 濡れ征きて」っつうとまあ戦争中の事を思い出しますね。 それがね 何で「時雨」っていう題を出したかなと思ってね非常に冒険をして面白いと思いましたね。 もう「時雨」ってのは古風な季語です。 池田さんの場合はこういう古風な季語をね現代風な感覚でねひねっちゃうんですね。 本当に現象としての時雨を詠んだ。 その時雨の情緒に負けなかったっていう事で一位に採りました。 金子さん 今の…?あのね 「時雨」という季語の情緒に負けなかったっていうのは適評ですね。
で 兜太先生には 「自選自解99」という本があるんですけれどもその中でですね この句についてこの句を作った前後の時にはご自分は芭蕉の事は頭になかった。 だけども 後で見てみるとこれもまあ 芭蕉の その句の本歌取という事になるのかなと気が付いて ほほ笑んだというような意味の事を 「自解」で書いていらっしゃるんですね。 いかにも 兜太先生らしい大きくて華麗な句ですよね。 兜太先生は 芭蕉もいいけれども荒凡夫一茶の方が ご自分には嬉しいっていうところがおありではあるんですよね。