本当に注目され続けている若林 奮の 今回 展覧会でこの作品 「地表面の耐久性について」というよく見るとボルトのような部分だったりあと こういう正方形の小さなパーツも そうなんですけど丸と四角とだけで構成されてってるんですね。 人間の能力の何か もう力の及ぶかぎりそれから 自然のメカニズムとかあるいは 人工的につくった自動車の持ってるメカニズムとかいろんなものが複雑に絡み合ってやっぱり 鉄の持っている常識の範囲を はるかに超えた鉄の可能性を引き出したというかね。
こうした彫刻そのものを 若林が自然と自分の間にあるものだというふうにも表現していましたけれどもそれに関しては 堀江さんはどう 作品を前に感じますか?それは やっぱりとても難しいですよね。 「自然を前に」と言う時にはそう言った途端に 自然と自分というのが生まれるんですけども。 そうすると 本当にそれで出てしまった自分が自然の中に入っているのか出てしまったのかが分からないわけですよね。 それを 多分彫刻的な自然と言うのか自然的な彫刻と言うのか。
子供と つきあっててもそれは 芸術家というか彫刻家の感性でつきあってるわけだから全部が そういう作家の時間ではありますよね。 だから 作品というかあげた 子供用の子供向けのものというんじゃなくて自分が納得するものを作ってるわけだから彫刻というか 作品の方に分類できるようなレベルのものではあったと思います。
1983年 若林は 庭の落ち葉を銅板に写し 切り抜き気の遠くなるような手作業で求めたものは 植物の時間です。 芸術は 大変すばらしいものだと思うんですがただ 芸術といったものの中でも人間が分からない部分とか若林 奮とかそういう作者の名前が無くなってもよいものかもしれませんですね。 植物に委ねられた この空間は彫刻や作品といった概念を超え永い時の中で生き続けるのです。