ETV特集「移民の国に咲いた花~日本ブラジル120年〜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

♪~ブラジル最高の文化勲章を受賞した国民的芸術家です。 大竹富江のように 戦前 日本からブラジルへ渡った移民は 19万人。 ブラジルで高い信頼を勝ち得ていった日系移民たちの軌跡をたどります。 戦前 日本の山村からブラジルへ渡った移民でした。 ところが 大原治雄が日記に記したのはブラジルの大地に 自分の土地を手に入れた その感動でした。 ジャングルの開墾に挑んだ大原治雄たち日系移民は農作物の品種改良や土壌の整備を積極的に進めていきます。

富江が来た頃のブラジルは既に 20か国以上からの移民を受け入れほとんどの国民が移民や その子孫でした。 自由を求めて渡ったブラジルで富江は 結婚と出産を経験。 大竹富江の長男で 建築家のルイ・オオタケさんです。 私たちは サンパウロの都会に住んでいましたしブラジルの新聞も2紙 購読していました。 ブラジル連邦議会で「日系移民の入国全面禁止」を憲法に盛り込む案が提出され議論が始まります。 この抽象画は 富江が ブラジル社会で注目される事になった一枚です。 富江は ブラジル現代美術の名誉ある賞を受賞。

富江はブラジル全土におよそ40もの巨大モニュメントを作り続けていきました。 多様な文化が交錯するブラジル社会に次第に受け入れられていきました。 大竹富江を受け入れたブラジル社会。 戦後 日系人たちはブラジルの隅々で社会を支える存在となっていきます。 ブラジルの大地で生きる感動を写真で表現した大原治雄。 その痕跡は ブラジル最難関のサンパウロ大学でも見る事ができます。 1970年代 ブラジルの全人口に占める日系人の割合は 0.8%。