ミュージック・ポートレイト「桂文枝×千原ジュニア 第2夜」

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この番組のまとめ

更に 落語家としては250を超える新作落語を自ら 書き下ろしその高い評価から数多くの賞を受賞しています。 2011年 人気急上昇タレントランキング!現在は 本業のお笑いに加え数多く 番組の司会をこなし小説やコラムなどの執筆活動あのころ 見失うた夢をもう一度 追いかけております。 テレビの仕事で こう忙しくなって落語 もちろんやってたんですけどもどうも やっぱりねこう 古典落語が合わなくなっていく訳ですよこういう口調やから。

創作落語の会を始めるんです。 創作落語は 今の言葉で今の時代を映した 新しい物語。 「どうです? 富士光の弟子で米屋の息子やからコシヒカリというのは」。 コシヒカリ ええ名前やと思うけどな。 何か 自分に合った落語を落語家として やっぱり こう個性的になれたらっていうかね。 そして 3年後三枝の創作落語「ゴルフ夜明け前」が文化庁芸術祭大賞を受賞。 一方大阪で活躍していた千原ジュニア。

まあ そういう時の 何かこう心のね 揺れ動くいうか結局 2003年7月上方落語協会 会長に就任。 それで まあ会社の人間とかも来てもう グッチャグチャなんで表に立つのは もう無理やと。 「もう終わったな」っていうのと何か いろんな人のネタがこう 頭に出てきて絶望のふちに立たされた時ジュニアを奮い立たせたのは逆境に立ち向かう心意気を歌った疾風怒濤のロックンロール!ほんで 入院してると そこにお見舞いにいろいろ来てくれはって。 「芸人 千原ジュニアはまだ死んでないぜ」。

上方落語協会の会長に就任した桂 三枝は更なる挑戦を始めます。 そんな寄席も一つ 二つと無くなり昭和20年代以降 落語専門の寄席は一つもありませんでした。 それはいつも温かく三枝を見守り寄席の建設を心から応援してくれていた三枝の師匠五代目 桂 文枝の死でした。 ついに 落語専門の寄席繁昌亭が完成します。 一方 バイク事故から復帰したジュニア。 そんなジュニアには 事故以降ある心境の変化が起きていました。 鋭さやスピード感に深みや味わいが加わったジュニア。 芸人として新たなスタートが切れたジュニア。