これ 何の数字だか分かりますか?戦国時代の武将 上杉謙信に深く関係する数字です。 驚異的な勝率を誇った謙信ですが決して 周囲が弱かったわけではありません。 越後の謙信の周囲には甲斐の武田信玄相模の北条氏政。 謙信の知恵を探るのはゲーム制作会社の創業者本憲三さん。 謙信も大活躍するあの戦国ゲームを世に送り出した人物です。 本さんの会社は他にも 対戦型格闘ゲームなど発売する作品が次々と大ヒットを記録。
今日は 謙信の負けない知恵を見ていきたいと思いますけど実際戦に強かったんでしょうか?武田信玄が 戦争については日本一だっていうふうに言ってるわけですから それは相当強かったとは思いますけど。 今回もですね いろいろ謙信 名前が変わりますので「上杉謙信」に統一させて頂きます。 天文12年 謙信14歳の時。 栃尾城に入った謙信。 決して はやる事なく最高の瞬間を待った謙信。 天文22年 武田信玄が北信濃に侵攻します。 すぐさま陣を捨て奇襲を かわした謙信。
現在の千葉県佐倉市にありました臼井城という北条軍の一大拠点だったわけですけれどもそこを攻めたんですね。 そうすると 関東で謙信に服属していた国衆が数か月の間に みんな北条方へ寝返っちゃうんですね。 こちらは 天正3年謙信が 自分の軍の兵力を把握するために作成した軍役帳。 なぜ やり兵が多いのか?それは 謙信の得意とする相手の虚をついて彼らの不安を抑えるため戦場で謙信は常に ある行動をとっていました。 謙信自らが陣頭指揮に立っているので兵士たちは 迷いなく行動できたというのです。
武田家は 信玄の息子 勝頼が跡を継ぎますが織田信長との 長篠の戦いで大敗を喫し天正10年 ついに滅亡します。 あとは やはり武田信玄がすぐそこまで援軍に来てるのとあと駿河の今川も同盟関係だったんですがそれも 駿府を出立したという状況だったのでその辺もちゃんと冷静に見てたんですね。 私 知恵泉特命店員…近田店長 謙信の資金源は米で間違いありません。