平等を目指して始まった日本の学校教育。 無着さんは アメリカ教育使節団の報告書を読み 衝撃を受けました。 それまで義務教育は6年間の初等教育だけでした。 日本各地から 中学校の義務教育化を求める陳情が出されていきます。 教育の目的は「人格の完成」であり教育の基本方針を決める教育委員を住民が投票で選ぶ仕組みでした。 上田さんは学校教育の基準となるこれが 「学習指導要領」最初の時のです。 地域を巻き込んだ新しい教育内容 カリキュラム。 各地で子供たち自らの興味 関心を大切にし主体性を伸ばす教育が目指されます。
初等中等局教育で「学習指導要領」の改訂に結局…1958年に作られた新たな「学習指導要領」。 池田首相は 経済成長を支える労働力の養成を尾鷲でも就職熱が高まっていました。 全部で 6,000人からの子供が集まってくるというこの進学教室では 国語 算数理科 社会のテストを行いその成績と総合順位とを毎週 父兄に発表しているのです」。 70年代半ば 教師への調査で児童生徒の半数が20年以上美術を教えていた 南 太さんです。
中曽根首相は内閣直属の諮問機関として臨時教育審議会臨教審を設立します。 他の世界ではもう非常に選択の自由が拡大しているのに教育の世界だけがなぜか学校を選択する自由「学校制度の自由化」。 臨教審は 文部省中心だったこれまでの教育政策に風穴を開けようとします。 当時 筑波大学教授だった黒羽亮一さんも「教育改革を打ち出した中曽根総理大臣も学校の民営化と 自由化を図ろうとしています。 しかし 臨教審が唱えた教育の自由化は日教組をはじめ 教育の現場の激しい反発を呼びます。
ゆとり教育から今度は 学力を向上させる事にゆとり教育から 基礎学力重視へと舵がきられる中寺脇 研さんは 2006年文部科学省を退官しました。 私たちが駄目なんであって…母親が大学卒 高校卒 中学卒の場合でそれぞれの子供の勉強時間を比べました。 大学卒や高校卒の母親の子供に比べ中学卒の母親の子供の学習時間が大きく減少している事が分かります。 さいたま市が市内10か所に開設している困窮世帯の子供たちを対象にした 学習支援教室。