戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択(6)

戻る
【スポンサーリンク】
23:00:04▶

この番組のまとめ

佐藤さんを支援していた福祉事業所では死亡率2倍の格差を乗り越えようと障害者の防災について研修を繰り返しています。 戦後 障害者の福祉は困窮した傷痍軍人の訴えから始まりました。 ところが 1970年代障害者たちが施設は社会からの隔離だと行政に激しく抗議します。 身体障害者への支援を訴えます。 法律の対象外となった重度の障害者は家族による保護に頼るしかなかったといいます。 花田さんは 1947年障害者のための文芸雑誌「しののめ」を立ち上げます。

これを機に 重症心身障害児の問題が クローズアップされ社会問題となっていきます。 その後 開かれた「重症心身障害児を守る会」の年次総会は大きな注目を集めました。 コロニーとは 当時 ヨーロッパにあった障害者のための大規模な居住施設です。 こうして親たちの訴えを きっかけに日本の障害者政策は 入所施設の充実へと舵を切っていきます。 厚生省が1970年に出した長期構想ではコロニーを各都道府県に設置その他の障害者施設も3倍から4倍のペースで整備すると目標を掲げています。

当時 施設が増え始めたとはいえ入所していた障害者はまだ全体の3%ほどでした。 この映画は 全国の障害者に大きな影響を与えました。 映画を見て 障害者が自ら主張する事の大切さに気付いた2人。 彼らの主張は 理解しても今は 少しずつ行政を前に進めていかざるをえないんだという意味で1968年 革新都政 美濃部都知事の目玉政策として誕生。 この施設に7年間 入所していた三井絹子さんです。 しかし 二十歳の時一番上の兄が結婚しできたばかりの府中療育センターに入所した絹子さん。

1972年9月都庁前に テントを張り障害者の方が 自分たちが ルールは決めるんだという主体性をみんな上から目線だったでしょうかね 障害者に対してね。 強制的な移転を中止し センターを生活に適した場にするため絹子さんたちは施設を中心とした政策は障害者自身の意思を尊重しているのかと 問いかけたのです。 1981年 日本の障害者福祉は大きな転換点を迎えます。 この国際障害者年を機にヨーロッパで生まれた「ノーマライゼーション」という理念が伝わります。

80年代の後半行政によるサービスが不十分な中自立を目指す障害者を障害者自身がサポートする取り組みが広がります。 障害者自らが利用するサービスを自由に選択し税金で その経費を負担する仕組みでした。 障害者の自立生活を崩壊させるな~!しかし 障害者たちは1割負担によって自立した生活ができなくなると反発します。 日本の代表的な障害者団体が集まって つくった…視覚障害があります。 そういう 個人ではいかんともし難い問題を金銭面で「あなた 負担をしなさい」という事はねこれは 障害者にとっては屈辱だと思うんですよね。