戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択(7)外国人

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この番組のまとめ

戦後 日本の外国人政策は60万人の在日コリアンを対象に始まりました。 戦後 日本が まず向き合った外国人が在日コリアンでした。 戦前 日本の植民地下にあった朝鮮半島の人々は帝国臣民とされました。 当時 日本には 200万人を超える朝鮮半島出身の人々がいました。 冷戦の緊張が高まる中在日コリアンの送還でJapan.1951年 日本はサンフランシスコ平和条約に調印し独立を回復します。 1960年 日本で生活する外国人の9割が 在日コリアンでした。

インドシナ難民が 日本に初めて上陸したのは 1975年5月。 政府は 難民の一時上陸を許可しながらも定住は認めませんでした。 命懸けの逃避行の末に日本にたどりついた難民たち。 テレビや新聞で流浪する インドシナ難民の姿が日本に伝えられます。 難民たちは 日本語と共に日本の生活習慣や社会のルールを学びました。 リーさんは 日本語と仕事の資格を何年もかけて身につけました。 定住が進むと共に明らかになったのが日本語教育の課題です。

社会保障など 在日コリアンの処遇が改善されながらも李相鎬さんは日本の外国人登録に残された ある制度に疑問を感じていました。 二世たちは「人さし指の自由」を掲げ指紋押捺拒否の運動を広げていきました。 指紋押捺拒否の急増を受けて対応策を協議しました。 指紋押捺を拒否する者には地方自治体が刑事告発するよう促しました。 指紋押捺の拒否に立ち上がった在日二世の姿を見て在日一世も拒否を始めます。 韓国政府も 日本に指紋押捺の廃止を度々要請しました。 日本の外国人労働者をめぐる議論が にわかに高まります。

日本人の住民も外国人の増加に伴うトラブルに悩まされるようになります。 外国人にルールを守るよう呼びかけても日系人が 自動車などの基幹産業で働く一方地方の中小零細企業では労働力不足が深刻になっていました。 外国人技能実習制度とは収入を得る事ができます。 労働省で技能実習制度の創設に関わった中国 ベトナム インドネシアなどからやって来た受け入れ企業は その3分の2が従業員19人以下の零細企業です。 実習生から相談を受け支援を行うボランティア団体です。