僕 以前 チェジュ島に行った時にチェジュ島の町なかの公共物にイ・ジュンソプの作品が使用されてるのを見た事あってそれで この画家は 韓国の方たちから 愛されている画家なんだなという印象を受けた事あるんですけれども今日は その 人となりをしっかり知る事ができそうなのでとても楽しみです。 イ・ジュンソプの作品は ニューヨークの近代美術館にも所蔵されていまして今年 生誕100年になります。 韓国人なら誰でも知っている画家イ・ジュンソプ。
朝鮮民族の経験と 同じような経験をしている人々にとって自分たちが求めているといいますかねそうせざるをえなかった状況があの代表作を生んだと。 1951年末同じ民族同士が戦うさなかイ・ジュンソプは 一旦プサンに移り住みます。 イ・ジュンソプは プサンで 絵で食べていくすべを探し求めていました。 イ・ジュンソプのふるさとは軍事境界線の向こうのはるか遠い場所になっていました。 荒廃した祖国に 日本から家族を呼び寄せる事もできないこの町で イ・ジュンソプは職を得ます。
そういう画学生たちが朝鮮人留学生 画学生の集まりを作ってそれを「白牛会」と名付けました。 自分たちの民族的な特徴ね白い色も 白衣民族というようにそれを確かめ合い お互いが助け合うような団体なのにそれを禁止されて それで「在東京美術協会」というふうに変えさせられたんですね。 だから 「名前も日本風にしろ」「言葉も日本語を使え」というふうな時代でしょ。 ですから 日本植民地時代に思い切って たくさん描く事ができなかったその牛を描いてるわけです。