原子力発電が推進され同時に太陽電池など新たなエネルギーの模索も始まります。 日本でも再生可能エネルギーを推進しようと国会議員が動き出します。 風力発電をはじめ再生可能エネルギーに力を入れています。 こうした再生可能エネルギーで生み出された電力を合わせると岩手県北部は 古くから炭焼きが盛んでした。
太陽熱発電で沸かしたお湯など未来のエネルギーを体験できるコーナーが設けられました。 京セラの稲盛さんは三洋電機の桑野さんと共に太陽光発電懇話会を結成。 それに対して 発電した電気を送電線に「系統連系」し電力会社に売るシステムを作る必要がありました。 稲盛さんと桑野さんはサンシャイン計画で進められた太陽光発電システムの実験に加わりました。 1993年 京セラは住宅用の太陽光発電システムを稲盛さんと桑野さんは その後も太陽光発電を普及させるため設置の際の補助金制度も勝ち取りました。
長谷川さんはアメリカのカリフォルニア州でエネルギーを巡る住民と電力公社との対話を 長年調査しました。 1990年代後半日本のエネルギー自給率はオイルショックの頃より5%増えおよそ20%となりました。 200人を超える超党派の国会議員が再生可能エネルギーの促進を目指す議員連盟を結成します。 再生可能エネルギーを産業として育成するために愛知さんたちは ドイツで既に実施されていた制度を日本に導入しようと提案します。