考古学者による調査が本格化したのはモアイは かつて神としてあがめられていました。 考古学者マイク・ピッツは「ホアハカナナイア」と呼ばれるこのモアイに注目しています。 ホアハカナナイアの背中には一面に鳥の姿をかたどったような彫刻が施されています。 1722年のイースターの日に島に到着したオランダ人探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンはその日に ちなみ島を「イースター島」と名付けました。 この箱には 1722年に記されたロッヘフェーンの日誌の原本が入っています。
宣教師は この特別な石像を始末したかったのかもしれません。 150年たった 今 大英博物館のモアイ像ホアハカナナイアの秘密が当時の様子は 今とは全く異なりました。 唯一 立ち続けていたのがホアハカナナイアでした。 現在 大英博物館にあるこのモアイ像はイースター島の人々の信仰において特別な役割を果たしていたと考えられています。 というのも 西洋人が島の人々に信仰について尋ねたころには既に奴隷商人が知識階級を連れ去ったあとだったからです。
しかし 起伏の多い地形のため全てのモアイが無事目的地までたどり着いた訳ではありませんでした。 考古学者クラウディオ・クリスティーノにとって打ち捨てられたモアイは貴重な情報源です。 「モアイ」は単に「像」を意味し祭壇に立つ石像は「アリンガオラ」と呼ばれました。 あるモアイの表面から赤い鉱物顔料の痕跡が発見されています。 津波は 海岸沿いに立ち並ぶモアイを直撃しました。 エドワーズは 歴史上の地震記録を調査しそして 今後も起こる危険性があります。
研究者たちはモアイが攻撃の対象となり倒されたと推測します。 2つ目の説は 島を訪れたロッヘフェーンの日誌の内容から内戦の可能性を否定するものです。 島を初めて訪れた西洋人ロッヘフェーンが見たのは西暦1100年ごろからです。 ロッヘフェーンは モアイ崇拝の儀式を目撃した最初で最後の西洋人となりました。 人々は モアイを信仰する事をやめました。 ホアハカナナイアは 古い信仰から新しい信仰へのいわば橋渡しをしていたと考えられます。 研究者たちは ホアハカナナイアの分析を進めています。