日曜美術館「民家巡歴~向井潤吉の戦後〜」

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この番組のまとめ

♪~向井の民家は自然と共に暮らしてきた日本人の原風景として多くの人々に郷愁を呼び起こしてきました。 大きく変貌する農村の中で土地の風土が築き上げた茅葺の家を飽かず描いた向井潤吉。 茅葺民家が次々に姿を消す高度成長の時代。 向井潤吉は 北は北海道から南は鹿児島まで「曲がり屋もすっかりと少なくなった。 なぜ こんな姿になったのか管理人を務める渋谷一志さんが田麦俣では 明治に入って養蚕が盛んになると蚕の世話のために光を入れ風を通せるよう屋根を改造しました。

「民家に異常な興味と熱意を持ったのはまた敗戦という思いがけぬ歴史的変化で生活も精神もいっぺんに ペチャンコになりそれまで絵を描いていた支え棒が急になくなったからである」。 向井は 生前 合掌造り民家の保存に役立ててもらおうと合掌造り民家が周りの風景に溶け込むように権威を持つ家長のもと何十人もの大家族がこれは 白川郷の絵の中でも比較的初期の作品です。 このころ 白川郷は激変の時代を迎え合掌造り民家は危機にひんしていました。

ダムに沈んだ御母衣の民家を代表させるように向井は旧遠山家を絵にとどめました。 民家のある現場に出かけ絵を描いた向井潤吉。 向こう側に 向こうに見える白馬の山々だから民家だけを描い… 民家を描いてはいるんだけれども一つの風土 まだまだ白い雪が残っていてやっぱり その神々しさとその背後の村っていうのは向井は 京都から山陰線で1時間ほどの小さな集落を「山陰線で通ってもバスで走っても一瞬にすぎてしまうような別に興味を持たない。 下山集落に 昔の佇まいをそのまま残している茅葺民家がありました。