ヘン顔を描きながら腕を磨き日本の洋画の新たな扉を開いた天才 五姓田義松。 今日は 明治の洋画家五姓田義松です。 五姓田義松。 まずは そもそも五姓田義松一体 何者なのかその存在に今 光が当たり始めています。 当時は ガス灯洋服といった舶来のものが義松こそ 日本の洋画のパイオニアだと考えています。 油絵の技法を研究している秋本貴透さんは義松の若さと 油絵の技法が日本に伝わったタイミングに注目しました。 義松は江戸の町絵師 五姓田芳柳の次男として生まれました。
さあ 今日のゲストは縄文から現代アートまであらゆる日本美術を研究されてる美術史家の山下裕二さんです。 山下さんは中でも 特に明治期の美術に深い関心をお寄せになっていますけれども山下さんは この五姓田義松という画家 どうご覧になりますか?ほんとに早熟ですよね。 高橋由一の場合は まだある意味 稚拙な所があるから日本の洋画というのはこういう所から始まってという美術史的な説明がつくんだけれどもこの人の場合はね ちょっと「えっ?」という感じなんですよ。 現代の画家の目には 五姓田義松の魅力は どのように映るのか。
表情が乏しいと日本人は その当時よく指摘されていたようですけれどそうではなく 西洋のよりドラマチックな表現というものをそれが新しい 輸入品である鉛筆で描く事によって諏訪さんが注目したのは線だけで作り出した顔の陰影。 鬼気迫るような表情で義松自身もこれ 僕はゴッホに似てるなと思うんですよね。 ゴッホも 何かこう絵の具をたたきつけるように日本に洋画が入ってきたばかりの青年がもう うんと後の言ってみれば表現主義的なね自分の感情をぶつけるような表現にまで至ってるという事が驚きですよね。
日本の洋画を代表する傑作黒田清輝の「湖畔」。 日本で頂点に立った義松には壮大な野心がありました。 日本人として初めて油絵で サロン入選を果たします。 画壇では義松より11歳若い 黒田清輝が影響力を強めていました。 義松は 日本でも時代遅れの画家になっていきました。 やっぱり 黒田清輝の存在が大きいんですよね。 何か お話伺っていく中で どんな気質だったのかなというのも何となく感じ取れてくると義松の特性というかアーティストというよりかもう 絵師に近いな。