先人たちの底力 知恵泉 逆境を乗り越えるには?「岡本太郎 “爆発”への道」

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この番組のまとめ

今日は あなたの悩みを豪快に吹き飛ばすあの天才芸術家が登場しますよ!昭和を エネルギッシュに駆け抜けた芸術界の巨匠です。 流行に敏感な若者たちの街下北沢の書店でも最新カルチャーの書籍をしのぐ勢いで岡本太郎のコーナーが大人気。 「生まれながらの大天才」に見える岡本太郎。 岡本太郎さんの世代かも分かんないですね。 ♪~今回 岡本太郎の知恵を読み解くのはその力強い発言で 多くの日本人を勇気づけている存在です。 その後 銀座にあった伝説のシャンソンスポット激しいバッシングを受け厳しい芸能活動を強いられる事も。

フランス語の飢餓状態?というのは フランスに長くいらしたでしょ?こっちへ帰ってきたらしゃべる人がいないししゃべる機会がないと言うんですよ。 母も 創作に熱中すると周りが見えなくなり普通ではとても考えられませんが「自分に 正直に生きる事」が芸術一家 岡本家の信条だったのです。 そのため 両親が芸術論を戦わせていると幼い太郎も 「それは違う」と批判する事も しばしば。 ちょっと その辺りも伺いたいんですけれどもちょっと 今 考えると特殊な家庭環境でそこの影響というのも大きいんですかね 太郎にとって。

太郎は フランス語の語学学校に通ったり大学の聴講生として哲学の勉強をしたりと美術とは距離を置いた生活を開始。 フランス人の友人もでき地元カフェの常連になるなどフランス社会に溶け込んでいきますが…太郎の心の中は 将来に対する焦りと不安でいっぱいでした。 また その時代 太郎はいわゆる絵描きだけじゃなくていろんな哲学者とか社会学者 詩人 小説家そういう人と つきあっていてそういう中で 彼は自分の思想を磨いていったし。

井原西鶴が書いた「男色大鑑」とかずっと つらづら見てると男でもない女でもないという不思議な錦絵浮世絵も残ってるわけですよ。 パリ陥落が迫る中岡本太郎は 10年住んだパリを離れ日本に帰国します。 しかし 帰国後日本も戦争に突入。 それは 兵を殴っていく際最初の一人目 二人目はまだ調子が出ず一番力が入るのは 四人目辺りで七人目ぐらいになると 疲れから殴り方が弱くなる事でした。 しかし 人々の非難こそ太郎にとっては闘志を引き出すエネルギーそのもの。

おばの岡本敏子がよく言ってましたけど当時の画壇の世界は ちょうどお相撲の番付の世界で新しい芸術を 日本に根づかせる事ができないというそういう使命感もあったと思うんですね。 太郎は その…画壇に挑戦状をたたきつけてすごく バッシングを受けたじゃないですか。 主人公ゆかりの地からとっておきのネタを お届けする…パリ時代の盟友だった坂倉準三っていうコルビュジエの弟子の有名な建築家がいますけど彼に頼んで造ったもので当時のままなんですよ。

太郎は 今の家具って近代的な家具はいかに座り心地がいいか。 ここが 太郎のね 絵画のアトリエです。 でしょう?何か まだ太郎さんが ここで作品 作ってるみたいでしょう。 これも 全部 太郎が描いたものそのもので別に装飾品じゃないんですよ。 同時並行で大量の作品を描いていたため未完成となって残った作品です。 太郎は アトリエで描いている絵が行き詰まると庭へ行き 彫刻の制作それも続かなければ2階へ上がり執筆作業といったこの3か所をぐるぐる回る生活をしていました。