福島県いわき市に 原発事故による避難者が入居するアパートが完成したのは去年2月の事である。 下神白団地に住んでいるのは原発事故で住み慣れた町を離れここを ついの住みかと思い定めた人たちである。 今も孤独の中で生活する阪神・淡路大震災の被災者。 富岡町から避難してきた84歳の掛田孝子さん。 もう じゃあ原発事故の事は諦めが…。 訪ね歩くと 障害を持った高齢者がバリアフリーになっていない部屋で家内も 家事もやってたんだけど。 下神白団地の一角にある集会所に9月から 住民たち自身の手で交流の場が作られた。
父ちゃんかな? どっちだ?牧さんは カフェで 一人暮らしのおばあさんたちと出会った。 寂しいという気持ちになったらば暮らしていけないんじゃないかと思いますよ 一人で。 国は汚染が深刻な帰還困難区域を除いて来年3月には 富岡町の避難指示を解除したいとしている。 横山さんは 町の中心部に近い夜の森地区で生活していた。 桜並木が有名で 春ともなれば多くの観光客で賑わったという。 横山さんの自宅は境界線に近いが昼間だけなら 立ち入りが認められている地域だ。
これ コップ ワイングラス全部ここに落っこっちゃって。 原発事故による避難者は東京電力から精神的慰謝料として一人 月10万円を受け取っている。 小野田さんは 慰謝料が出ない地元の人たちとの関係が難しいという。 誰に?新聞社に 新聞記者に。 もう6回目 避難して6回目。 住民同士が世間話をする場所もなかった。 ベンチ作りは 居場所作りでもある。 手作りのベンチを 14脚用意して団地に配置する事になった。 そこで会話が生まれ新しい人間関係ができればいい。 浪江町の元原発労働者宍戸光雄さん。
そうそう介護施設の近い所という事でだって 大工さんがいないみたいなんですよ。 貴重品?貴重品っていうわけじゃないけど一時帰宅の時は 少しずつ運ぶようにしますので…。 不要な物は環境省から委託された業者が無料で処分を引き受けてくれる。 地元の富岡町に寄贈したいと申し出たが役場も図書館も現在避難中とあって引き取るのは難しいとの返答だった。 原発事故で ふるさとを追われた身の上話は同じでも下神白に少しずつコミュニティらしきものが出来上がりつつあるように見えた。
材料になる木材は 地元の会社が無料で提供してくれたもの。 自分たちの居場所を自分たちで作ろうという思いが下神白のアイドルですから もう。 宍戸さんは 長引く避難生活の中で心身に変調を来したという。 それで今度 久之浜のがれきの仕事をやってて悪化しちゃってて病院の先生からは「ストレスもあるね」って言われて。 工藤節夫さんも 最近は腕のしびれに悩まされている。 どうですか工藤さん出来具合は?うまいよ。 いつも明るい宍戸さんの表情が一変したのは地元の人たちとの関係に話が及んだ時だった。