お願い!編集長「100分de幸福論」

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この番組のまとめ

皆さんも ご自分で考えると何かなと ぼんやりとつかみにくいものがあると思いますがそこで 今回は 名著から幸せの正体に迫るべく4人の先生方にお越し頂きました。 哲学からは 東京医科大学哲学教室教授の 西 研さん。 哲学では もともと「幸せ」は随分 論じられているんですか?プラトンのお弟子さんにアリストテレスという有名な人がいて「幸福」についてまとまって書いてるんですね。 これまで 「100分de名著」でもアランの「幸福論」というものを取り上げたりしたんですがこれが 「三大幸福論」と呼ばれている ご本でして。

時代ごとに 要請されるものが異なりますけれども例えば近代だったら 立身出世あるいは その挫折の物語だったりしますしそれ以前の 前近代だったりすると国家とか教会とか家族制度とかそういう人たちの行動を描いてるものが結構多いんですよ。 そこで ちょっと「好色一代男」と 「好色一代女」と。

女性がね 結婚という一つの幸せの基準になってるものから離れて幸福を追求するとそれぞれ女性ができる仕事でもって髪結いとかのような美容 ファッション系それ 現代で考えると 例えば銀座のホステスで ナンバーワンになるとか。

この彼女も いろんな遍歴をたどっているわけですけれどもそれは 普通に結婚してというのがものすごい拘束窮屈な世界だというふうに思えばそこから解放されていく事に伴って「好色一代男」も「女」も自分の自由をとことん追求したい。

人間の経済活動はどのように成り立っているのか考えて下さい。 経済活動の根本は金銀財宝ではありません。 アダム・スミスはどれほどの労働が行われたかでものの価値は決まるという「労働価値説」を主張。 1人で ものを作るよりも作業工程を分担して行えばアダム・スミスは 国家の規制は極力 無くすべきだとする「自由経済論」を訴えたのです。 それが 経済活動だというふうに言われれば…だから 経済活動というものに対する見方を全然 そこで変えようとしたというそういうところに非常に画期的な面白さがあるわけですね。

不幸な状況に悲しんでいる他人を見てこの観察者の声に逆らって行動すると人は 恥ずかしさや自己嫌悪を感じます。 やっちゃいけない事は分かる この不文律というものについても理解をしているという事を前提にしないと経済活動というものは 正当性を持たないという事を言っていてこれは やっぱり全く そのとおりだと思うんです。 お互いの立場 違うし一人で コンビニで お弁当を食べて生きていける社会の中で共感が成り立つためには何か 仕組みみたいな事が要るような気もするんですけど。

ところが だんだん だんだん自分は こう生きたいよという自由への欲求が目覚めてくる。 みんなと一緒という部分が切れて自分だけの生き方を追求していくとどんどん孤独になったりそして 孤独になっちゃうと何が起こるかというと…人間は 人間と関わり合いながらその中でこういう事をしようよというのを見つけていきますから本当に孤立化しちゃえば 生きる意味すら 分かんなくなっちゃう。

ちょっと あれですかね「オタク」と呼ばれる人の中にも何種類か いますけどコレクションを競うみたいなやり方もあるから。 だけど自分の好きなものだけを集めて「俺のコレクションはすごい そろったな」みたいのはその状況に ちょっと近い。 コレクション 見せたくなりませんか?なります。 つまり自分の個性を実現するんだ。 自分の個性を表現する事だけが大事だから競争 要りませんと思ってるんです。 ヘーゲルは 人間の意識がさまざまな段階を経験した後普遍的な価値を目指す「理性」へと成長していくと考えたのです。

学校をやめて 家の中に居る分にはとりあえず最近まで経験してた人間関係の「嫌だ」はとにかく排除できるじゃないですか。 孤独は 嫌なんだけど人との人間関係に戻るのも相当 きついみたいな人たち。 「別に 能力 関係ないあんたがいてくれて よかった」みたいな事を言われると中にはゲイの子がいたり いろいろ苦労してる子も多いんですけどそういう子にずっと インタビューしたんです。

みんなが いいと思う自分も いいと思う本物の価値を追求する仕事人の幸せとでも やっぱり 友人や恋人や子供との関係もあるかもしれないですけど愛が やっぱり大事なんじゃないかな。 この事を 一番自分が不幸だという確信があった頃名著によって 先生によって知ってるとあの時の自分も頑張れたような事はあります。 精神科医 ジークムント・フロイトは出発点となるのは 人間というのはどうも 他の動物と違って…簡単に言ってしまえばですね。

意識してる僕が幸せだと思う事と無意識の僕が幸せだと思う事が全く反しちゃってる場合はどっちが幸せなんでしょうか?それは 自分の中でぶつかり合ってますから 幸せではなくて非常に困った状態になってるんじゃないですかね。 でも 無意識の自分って分からないんですよね?分からないんです。

自分は こんなふうな人生を生きていてこんな人間だというのを 絶えず自分は作っているんだけども例えば 恋愛なんかでもこういくはずだったのが相手にノーと言われて自分が否定されてしまう。 自分とは違う性格や名前などを持っている複数の登場人物の器だけ作ってそこに自己意識 投入したりして人物像を増幅していくわけです。 いかに自分について…ここで僕がずっと気になってるのはさっき西先生のお話の途中に出てきたどうやら愛なんじゃないかっていう。