先人たちの底力 知恵泉「明治の実業家 五代友厚の大阪復興」

戻る
【スポンサーリンク】
22:04:15▶

この番組のまとめ

お酒じゃなくて今宵は柴田さんのため 特別五代友厚の知恵味わいましょうよ じゃあ。 明治の初めに 五代友厚は大阪を元気にする事で日本を元気にしようと取り組んだんですよ。 大阪の商人たちを支援した実業家五代友厚の知恵をどう読み解くのでしょうか?という事になるんですかね?今で言うたら 経営理念とかというのは ありました?中学 高校の同級生はやっぱり 親しみ込めて五代さんとか 五代はんあるいは 尊敬の念を込めてる人は五代公というふうに。

明治になってからどこに都をうつそうかという時に大阪遷都論というのがありましてそれ 大久保が唱えてたんですね。 明治時代 造幣局が最初に置かれたのが大阪でした。 明治2年 五代は横浜への転勤辞令を受けますが大阪のあまりの惨状を見て官職を辞し文久3年 外国人商人の殺傷事件をきっかけに争うより和解した方が双方にメリットがあるのではないか」。 こうして五代たちが 明治11年に設立したのが 大阪株式取引所。

かつて大阪商人が何よりも大切に考えていたのは新しい時代に引き継げないか。 日本ナンバーワンの証券会社の礎を築いた…世界的な酒造メーカーの創業者鳥井信治郎などが その代表です。 学校は後に 大阪市立大学などに発展。 昭和の初めには東京を凌駕する経済都市となり大大阪とまで呼ばれるほどになります。 商法会議所だと思うんですけどね。 それで商法会議所をつくりましょうと。 それが そのやり方の一つが商法会議所ですね。

人に期待という意味では五代が期待した広岡浅子もその五代のつくったしくみがあってこそうまく成功したという事なんですかね?その大切にして頂いたんで 今我々もあるんだと思いますけれど。 あら!大阪市には 今でも五代に会えるスポットが たくさんあるそうです。 これは 五代が政府の重鎮 大隈重信に意見を述べている手紙ですそして五代が愛した料亭も現存。