ETV特集「名前を失くした父~人間爆弾“桜花”発案者の素顔〜」

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この番組のまとめ

隆司さんにとって 父は「大田正一」ではなく「横山道雄」だった。 秘密兵器の桜花は発案者 大田の頭文字をとってその大田の息子が大阪で暮らしていた。 横山道雄というのはお父さんが勝手に名乗ってる名前でほんとの わしの名前は大田正一という名前なんやと。 神雷部隊の桜花それに 最後は所属してたというのを言ってたって。 差し出された名刺は海軍少尉 大田正一。 各地から 搭乗員が集められ第721海軍航空隊神雷部隊が誕生。

大田正一の息子の大屋と申します。 もう その時に桜花を考え出したのは大田っていうのはご存じだったんですか?特攻の兵器を考え出したというのがすごく ちょっと嫌だったんです。 隊員たちの中には発案者大田の責任についてかばう人もいる。 当時 基地で大田と一緒だった堀江良二さんの手記。 大田は 新兵器の必要性を仲間に説いていた。 大田の熱意が桜花採用の決め手になったと戦後 手記に記している。 大田自身が操縦者であり彼の発案を 喜んで 実現の促進に努力する腹を決めた」。

やっぱり 桜花で結構若い人が亡くなってますよね。 訪ねたのは 元桜花隊員の植木忠治さん 91歳。 大田とは 訓練基地で一緒だった。 私 大屋隆司と申します。 大田正一がですね その神ノ池の基地の中での人望とかそういうのはどんな感じでした?出撃を前に次第に殺気立っていく 搭乗員。 植木さんは 出撃の機会を待ったまま 終戦を迎えた。 台所に 植木さんがこしらえたお手製の面会所。 近所の人とも挨拶程度で友人と呼べる人はいなかった。