日本の話芸 落語「林家彦六伝」

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この番組のまとめ

♪~あっという間に過ぎた歳月でございまして昭和31年から35年までは私は 漫画を描いておりまして鎌倉にお住まいの清水 崑さんという当時 はやりっ子のカッパの先生のところで一生懸命漫画の修業をしておりまして私の描いている漫画は時代物が多かったですね。

下町の稲荷町という所にお住まいの正蔵師匠のところに行きました。 稲荷町で降りまして長屋に住んでる師匠のとこへ行く訳です。 後ろから回りますとバスケットボールの試合 見てるんです。 「えっ? こんなおじいさんにバスケットボールの試合が分かるのかしら。 最近は若いお客さんが寄席に来るからスポーツの事を話題にして落語の中に入れようと思ってうちの師匠は 研究をしている。 邪魔にならないように後ろに回ってね一緒になって バスケットボールこうやって見てたんです。

落語会の若手も来ますからうちの師匠が一生懸命 考えましてどこのうちでも 大概お雑煮が出るんですけれども私の師匠の所は牛丼を出すんですね。 お年玉っていうのはうちの師匠のところのお年玉は殻のついた南京豆を三角の袋に入れてそれで その上にマジックの太いので「お年玉」って書いて渡しておりましたけれども何で これがお年玉なのかよく分からないんですけどそういう不思議な事をしている師匠でございました。 で 選挙といえば 面白かったのが私 お手伝いしたんですけど立川談志が立候補致しましてね参議院議員選に立ったんですね。

で 立川談志という人はあのころはまだ若かったんですけれども大変頭の切れる人でございましてねで 錦糸町の方に行った時に私たちは 若手で応援に行きまして。 立川談志が立候補した時はまだ 政党に入っておりませんでしたから応援というのが政治家がいないんですね。 素人ばっかりでございまして談志さんが主に しゃべるという事をやっておりましたけれども立川談志という人はよくしゃべる人なんですけれども政治向きの話が あんまり得意じゃなかった 当時はね。 私に任せなさいっていうのが伝統を現代にっていうのが立川談志なんですね。