ETV特集「忘れられた人々の肖像~画家・諏訪敦“満州難民”を描く〜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

画家 諏訪 敦は 古典的な写実絵画の技法を使いながら結婚を間近に控え交通事故で亡くなった女性。 諏訪が描こうとしているのは終戦直後中国大陸で死んだ祖母である。 諏訪が生まれる20年以上も前に死んだ祖母に諏訪は もちろん会った事がない。 平成11年 父親が がんで死亡する直前 諏訪に手記を託した。 そこには 諏訪の知らない家族の歴史が したためてあった。 手記によれば 諏訪の父の家族は山形で 和菓子屋を営んでいた。 国が推し進めていた 満蒙開拓団に参加したのである。

この時 諏訪の中で 祖母の存在が大きなものになった。 旧満州 中国東北部。 ふるさと山形から やって来た家族はこの風景をどんな気持ちで見たのか。 昔のままの家とか残ってる?満蒙開拓団には広い土地が用意されていた。 そして 向こう側に沈む夕日は多分一緒…。 諏訪は また少し祖母の感触に近づいた。 逃避行の末 多くの開拓民は難民収容所に身を寄せた。 その時 諏訪が意を決したようにキャンバスに向き直った。 諏訪は家族の写真を見せ記憶にないかと尋ねた。 長野県にある 自動車部品の工場。

鈴木さんは 13年前に収容所の跡を訪れた事があった。 鈴木さんの開拓団が避難生活を送っていた場所。 収容所に 最後までいた子供で生き残った子供というのは少なかったんですか?それも よく生き残ってきたなって今でも言う。 鈴木さんの母親も冬を越せずこの収容所で亡くなっていた。 新香坊収容所で死亡した人は3,338人を数える。 当時 満州の収容所で発疹チフスの致死率は50%を超えていたと言われる。