ミュージック・ポートレイト「T.M.Revolution×高橋みなみ 第1夜」

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この番組のまとめ

T.M.Revolution 西川貴教 45歳。 ♪「No−No Baby Woe No−No Baby」♪「FIGHT THE YOUTH−THE YOUTH WITH POISONED MINDS」私 高橋みなみは…だから…残酷ですね。 でも 当時はでっかい こんなカセットもカセットも こんなカセットじゃなくて…。 え? カセット これですよね?8トラっていうカセットがあるんですよ。 こう… ガチャンって入れるカセットがあったの。

それまでは もう土曜日 学校終わったらじいちゃんちに行くって決めてたのがそれも できなくなっちゃったし結局 もう 一人で過ごしたりする時間が長くなってて。 それで急に ド~ンってやっぱ変わって…もう すごい… あのね 本当にただの田舎の高校生なのに俺 普通に電車で…え~!今 書いてるサインそのころから書いてるサインです。 小学校3年生ぐらいの時に転校生が来るんですよ。 犯罪じゃない!犯罪じゃないですよ!うちの田舎だと もう本当にほぼ犯罪ですね。

しかし 乗り込んだ大阪で盛り上がっていたのはビジュアル系バンド。 もしかしたら 俺…デビューを争うライバルにはシャ乱QやLUNA SEA。 ♪「Bye−Bye ありがとうさよなら」ちょうど そのころ 大阪時代にしのぎを削ったバンドが華々しく活動し始めます。 ♪「咲いていたのはmy rosy heart」自分ちに籠もってとにかく曲を書くみたいな毎日でしたね。

もう何かキャバクラのキャッチみたいな人がいて私 本当にやべえやつだと思ったからめっちゃ避けてたんですけど親が 普通に チラシもらってて「ママ やめなよ」って言って「大丈夫だよ」っつって。 そして こちらがAKB48のオーディションの様子。 最後のつもりで受けたこのオーディション。 その時 あるラジオのアシスタントをAKBがやってた時に スペイン坂の。 アシスタントに入った日がw−inds.さんだったんですよ。

それは 当時最先端のデジタルサウンドでヒットを飛ばしていたプロデューサーさっきのフィッシュボーンみたいなのやりたいって…。 それをやってる自分の曲を当時のバンド仲間とかが聴いたらどう思うんだろうとか変な話 「売ったな」って思うかもしれないなって。 この歌が スマッシュヒットしテレビ出演が増えていきます。 AKBは軌道に乗りメジャーデビューを果たします。 AKBに求められなくなるな」っていう…。 気が付けば AKBの中心にいました。