100分de名著 歎異抄 第2回「悪人こそが救われる!」

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この番組のまとめ

「悪人正機説」などと 日本史の教科書にも出てきたりしますよね。 ところが 世間の人は普通『悪人でさえ往生するのだから往生しようとする人は一筋に 本願のはたらきを信じる心が欠けているから阿弥陀仏の願いにそってはいないのです。 阿弥陀仏は そのような苦悩を深く かなしまれて本願をおこされたのでありその願いのお心は 私たちのような悪人を救いとって仏にするためなのです。 ですから この本願のはたらきにお任せする悪人こそがまさに 浄土に往生させて頂く因を持つものなのです。

浄土に早く往生したいという心が起こらず少しでも病にかかると死ぬのではなかろうかと心細く思われるのも煩悩のしわざです。 果てしなく遠い昔からこれまで 生まれ変わり死に変わりし続けてきた苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨て難くまだ生まれた事のない 安らかな悟りの世界に心ひかれないのは親鸞は 自分も唯円と同じくそれで もうこれ せっかく二人きりだからこの際 思い切って聞こうかなという そんな感じで「実は 救われるって言われてもうれしくないんですけど」と言うんですよね 唯円。

親鸞が このような思想にたどりついたのは人間の煩悩を見つめたからだけではなかったんです。 親鸞83歳の姿を描いたと言われる肖像画。 流罪先の越後そして 流れ着いた関東で親鸞は ごく普通の庶民と生活を共にしました。 鎌倉時代の百科事典に「塵袋」というのがあるんですがそういう 当時の抑圧された民衆の人たちを指しても使ったようなんですね。