こころの時代 シリーズ “ブッダ最後の旅”に学ぶ 第1回「旅のはじまり」

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この番組のまとめ

そういう中で 仏教というのはインドの哲学あるいは 宗教の始まりを紀元前の1200年ぐらいにたどる事はできるという点からしますと仏教は 紀元前の5世紀前後におこってるという事でかなり新しい宗教という事になると思うんですね。 そうして そのお話の元になる今回の経典 仏典後で また パーリ語っていうのはご説明させて頂きますけれどもパーリ語で 原典の名前は…先ほどのバラモン教という古来の インドの宗教からすると「ブッダ 最後の旅」が記された…ブッダの死後 仏教は主に2つのルートで世界に広まりました。

ですから 先ほど 大乗仏教以前のものと言った時に古い仏典は 「原始仏典」とか「初期仏典」と言っておりますが原始仏典や初期仏典というのはそっくりそのままの形で 現在残ってるわけじゃないですけど比較的まとまった形で残っているのがその パーリ語の仏典とそれから 今 おっしゃいました漢訳仏典という事で我々は 漢訳仏典を通じておりますから漢訳仏典の中には そういった初期の仏典も含まれているので明治以降 漢訳でですね読もうと思えば読めた仏典とは同じ事を書いていても内容がいくらか違うという事も…。

この「大パリニッバーナ経」というのは私自身が 仏教の勉強をするきっかけとなる経典でもございましていろいろ 縁がございましてまあ そういう点で大切な 私にとっての経典なんですけれども今回は とりわけ私は 中村 元先生の孫弟子にあたるんですが中村先生の翻訳 解説その他ですね渡辺照宏先生の解説などですねこれらの先生方の教えを解説を通じてブッダの教えに出会うという事は結局 いろんな人々との出会いがあるという中で古の教えが そういったいろんな人々によって教えてもらったもので自分の心を照らしてくれるという点が 一方に

今までに なかったような新しい変動が生まれ誤った教えを 仏教では「外道」と漢訳でするわけですけどもそれだけ さまざまな思想が生まれた時代という中で運命論的な思想もあったしそれから唯物論的な教えもあった中で当時のインドの宗教的な あるいは思想的な勢力を持っていた「聖典」 バラモン教の「聖典」の名称をひとくくりで 「ヴェーダ」と言って「知識」というような意味なんですけどもこの ヴェーダの宗教の古い在り方というのは宗教儀礼とかね 祭式の儀礼というものが務めとしてまあ 彼らは「ダルマ」と呼んでますけどもダルマとい

それ以外に古いタイプの 恐らく部族…もともと 遊牧民だったと言われてるこの アーリア人というのがございまして部族国家的な 中央集権ではない民主主義的なそういうタイプの共和制タイプの国家もあってそういう いろんな国家がタイプがある中でもってどのくらい 急速に広がってったかどうかはそこのとこはちょっと分からないですね。

ただ どういう形で編纂されていったわけですか?この 経典の編纂の歴史というのはこれは専門家が 研究してもなかなか謎の部分というのがあって現在 残ってる資料で限界は あると思いますけれども基本的に ブッダが亡くなって最初に迎えた「雨安居」という雨期に一時的な定住をする時期にこの ブッダの最後の旅が出発した 王舎城ですね……と言われていますね。

中村先生が「智慧」の学びですけども「智慧」 これを伝統的には「慧学」と言っておりますけどもこの三つのですね 柱からなる全体の教えを「三学」と言って何が目的かというと…この戒律と精神統一とそして 智慧というのは。 で その考え方を正すという事は一方においては「智慧の目を開く」という事でこの「智慧の目を開く」というのは何のためかっていうと結局 最終的には 欲望に流されて思いどおりにならない現実中村先生の…「苦」というですね 漢字一字をその欲望が なぜ あるのかというと 誤った見方があると。

そうすると とりわけ こう…ほんとに特別な教えを特別に説いたっていうふうにあまり見ちゃいけないんでしょうか?この経典に関して言うとそれほど 何か 特別な教えがあるとは思えないしブッダ自身が 恐らくそんなに自分自身が 特別な教えという事を説いてるとはこの辺のくだりというのは言葉の向こう側に何を言いたいのかっていう事があるような気がするんですがこの流れ この辺のところってどういうふうに解釈をすればいいんでしょうか?なかなか 謎めいた言葉じゃないかと思いますけども少なくとも こちら側の岸辺から向こうの岸辺 「彼