100分de名著 歎異抄 第3回「迷いと救いの間(はざま)で」

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この番組のまとめ

鎌倉時代の僧侶 親鸞の教えを記した仏教書 「歎異抄」。 前回は 「悪人こそ救われる」という事でしたが今日 第3回ですけれども どんなところを見ていきましょうか?第1回 第2回と 「歎異抄」の前半部分を読んできましたが今日から後半の部分になるんです。 君はさ 阿弥陀仏の本願を信じて念仏してるの?それとも 念仏の不思議な力を信じて 念仏してるの?ねえ そこ大事なとこだよ。 ねえ どっち?阿弥陀仏の誓願の不思議と念仏の不思議な はたらきを分けて考えては いけません。

どんなに悪い事したって阿弥陀様の本願によって往生できるんだし?だから むしろ 悪い事した方がいいんだよ! ヒャッハッハッハッハッハ!…という教えを説く者が現れました。 そんな私たちを悲しんで全てを救おうと阿弥陀仏は本願を立てているのによい事をしなければ往生できないと考えるのは親鸞聖人は 「いくら薬があるからといって好きこのんで毒をのむものではない」とそういう誤った考えはやめるべきだと言っています。

確かに 念仏を唱えればしかし これは仏教で禁じられた罪や悪がつなぎ止めるものでしかないのですから命の尽きるまで怠る事なく念仏し続けて初めて 浄土に往生できる事になります。 念仏唱える ご縁がなかった人も本当の信心があれば救われるだろうというこの信心に ぐ~っと重心が乗ってるというのとここ 面白いですね。 そういうものを超えた世界念仏を唱えるって 現代人にとってすごく難しいように思うんですよ。