新世代が解く!ニッポンのジレンマ「ディスラプトって何だ?」

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この番組のまとめ

僕は タブレットのノートPCとかICTを使って先生のティーチングからファシリテートするツールを作ってるつもりなのでなので まさに それは僕がやろうとしてる事ですよと言いたいわけですけども。 例えば 要は生徒が タブレット上に答えを書いてそれを すぐ先生とか皆で共有したりとか解いたあとに解いたら普通 暇だけども他の生徒の解答を見て コメントを書いてみようとかというようなそういうツールを作ってます。

やっぱり 人間力のすごく高い先生というのはそれは人工知能化されるという事です。 けど 感情論があって 例えばね人生を選択するプロセスに大人が ファシリテーターとして付き添っていくまたは人工知能が ファシリテーターとして付き添っていくとなった時に後者は 感情的に 多分受け入れられないと思うんですよ。 その学習塾の現場で 常々進路選択の時に言っていたのが「八王子東高校に行きたい」「国立高校に行きたい」とか言うんですけど「君 ニューヨークだったらここの高校に受かるよ。

それでもなお教えられない事を教える人間は必要なわけで結局 教える人間というのはすごい人間力がより必要な人になっていくから結局 宝槻さんみたいな人は…。 でもね 「人間力がないと先生になれない」という言い方をすると何かすごくネガティブな感情が走るけど「人間力がある人こそ先生になってほしい」という言い方 変えるだけですごく これポジティブな話で。 だって 普通考えてお医者さんや先生という命とか人生に関わってくる判断してくれる人が 大人が人間力なかったら悲しいですよね。

結構 小学校 中学校は 受験というプレッシャーも まあ ないし知識の詰め込みをしなきゃいけないというプレッシャーも まあ ないし保護者自体も そこに重きを そんなに置いてない。 だから 小学校 中学校は結構 アクティブ・ラーニングだったりファシリテーションって比較的 先行して やれていてその結果というのがやっぱり PISA調査編集型の問題にも対応できる学力に つながってるんですけど。

さっき PISAで小・中学生は すごい優秀だという話ありましたけど日本って 大学ランキングはそんな高くはないじゃないですか。 子供たち一人一人のもう少し 意欲があればそこは何とかなるところなんですかね?やはり 学ぶという行為が自分の人生にとって小学校 中学校も まだまだだとは思いますけどやっぱり 勉強というのがアクティブではなかった主体的ではなかった強制されてきたという経験を10年とか受け取っちゃうとまあ 大人になった時に主体的に学んでいこうって意思はやっぱり低いんじゃないか。