やはり今の現代に暮らす方々は強いられておりますのでここに来てやはり 自分自身の本来の心というのを取り戻してここに身を置く事によってもう一度自分自身に気が付いて頂くそういう場にしたいと思ってデザインしております。 小学5年生の時京都 龍安寺の庭を見て強い憧れを抱きました高校生の時造園家の斎藤勝雄氏に出会い弟子として教えを受けます。 斎藤氏は 日本における近代的な造園設計の草分けであり日本庭園の第一人者でした枡野さんは大学に通いながら石や木の扱い方などを現場で学んだのでしたこれでも いけるんじゃないか…。
その時に子供心に思いましたのが白黒で…当時 白黒の写真でしたけど庭の写真がありますとお参りにおいでになられた方がお供え物でお菓子をあげられるとそこに 上にパラフィン紙がくっついてるんですね。
そこが西洋の 人間が主従関係の主に立ってやるのと福岡正信さんから伺った事があるんですけれども東京のNHKに見えた時にですね代々木の公園にある木が こう生えてるのでですね自然のままというと あの木はあのままでいいんでしょうかと言ったら 「違う」と。
それは あの そういう自然の姿をご覧になるのと同じようにこれが 私たちああしなきゃいけないこうしなきゃいけないこうならなければいけないってそれが 自己中心的な考え方がどんどん自分を縛ってくると動きがとれなくなってくる。
そうしますとですね今 あそこに見えております3段の滝なんかもですねどういうあれでああいう3段になってしかもあの配置になっているんですか?これは まず大きな空間からしますと水面の高さが高い上池と 低い下池と この2つをまず造って全貌はどっからも全部見せないようにしようと。
それで 理想的な形を思い描いて出来たならば それを測ってその寸法に合わせてコンクリート 池の構造物になるコンクリートを打つというそういう順番を踏んで最終的な形になるんですね。 ですから この建物のこの床の高さも仮石組みする時にはきちっとレベルを出して同じ距離関係をつかんでいくつかの滝を見る場所を全部作って そうするとステージみたいのを作らざるをえないんですね。
♪~その一方 1998年からは多摩美術大学の教授を務め自然農法をやったらどうなるんですか?と長続きするというわけで 日本人は頭で聞いて 分かったつもりで帰ってやってみたらダメだったらダメだで やめるという事でだから そういう 本当の物事が成長していく情報が先に一人歩きしておりますから座禅すると 何がいいんですか?とか健康にいいんですか?とか心が落ち着くんですか?とかすぐ結果を求めようとするんですよ。
「不立文字 教外別伝」っていうくらいで大事な事は 文字や言葉にならないわけですからその背後に潜んでるものがどういうものかっていうのを察するんですね。 ですから そういう中に自分が今 いるという事は誰しも持ってると思いますが言葉の「分かる」というのは…という言葉があるんだそうですね。 ですから 一つの宇宙というかその中に 真理の中にそれぞれの人が みんな自分がいるんですよ。
お話を聞きながら ちょっと関連がないかもしれませんけれどもこのごろ新聞なんかで よく見ますと孤独死という お年寄りの方がですね 一人で亡くなられて周りの人が気が付かなかったそういう死に方を孤独死という言い方があるんですけれども昔の修行者なんかでは山の中に入ってですねそれでやっぱり一人で亡くなっていく方もいらっしゃるわけですけれどもその前は 修行する場合にいろんな 自分にとって不必要なものは捨ててですね一筋に 周りとのつながりを楽しみながら生きていくという姿勢で亡くなるんじゃないかと思うんですがそういう生き