澤田さんは安田靫彦への関心というのはどのようなところにあるんですか?そうですね… 歴史を小説にする場合というのは細かなところは読者の想像に委ねる事ができるんですがこうやって可視化なさる場合は隅っこまで描き込まないといけない部分ですので安田靫彦は隅っこの方までどんだけの熱量を込めて描いてらっしゃるのかそこがとっても気になります。 安田靫彦の絵を見る時に 僕でも 間違いなくその裏に緊張感を感じるのは何だろうなとか。 その模索をしていた岡倉天心に早熟な才能を見いだされた靫彦。
作家が線を引くときっていうのはその日は家じゅうが朝からピリピリしていて今日は お父さんの線描きの日だから黙ってなさい 子供たちっていうふうな事が安田靫彦は 当時は日本画の画壇の中ではどのような評価を得てた人だったんでしょうか?そうですね作品が非常に上品でしたからそういう意味では別格って思われてました。
靫彦は 紀元2600年を祝う奉祝展覧会の審査員を務めしかし 靫彦が表したかったのは兄弟の行く末でした。 その 声高に何かを叫ぶという事ではないんですけれども絵画として美しいものを描くという事に非常に強い意志を持っていてその 表している時代が持っている時代の香りといいますか雰囲気といいますかそういったものもこの絵から感じられるように靫彦は さまざまな工夫を凝らして描いていると。
結局 絵を描く事に対する姿勢がやっぱり ちょっと他の作家さんとは ひと味違うところがあってなんか 死と背中合わせで制作に向かってるような…。 それが 靫彦の目指した歴史画でした。 80歳になって 靫彦は19歳の時に見た奈良の大和三山を絵にします。 優美な文化が花開いた古の姿を山々と共に表したいと万葉の時代に生きた一人の女性。 いい時代を描きたくなるという言葉がありますけどやっぱり 安田靫彦にとってのいい時代というのはすごく教えてくれる存在だと思うのですよ。