西郷隆盛など低い家柄の者たちが斉彬の抜擢によって藩の中心的人物へと成長。 今回島津斉彬の知恵を読み解くのは日本大学陸上競技部監督の小山裕三さん。 その中にはアテネオリンピックのハンマー投げで金メダルを取った室伏広治さんやドイツで開催された世界選手権の やり投げで銅メダルを取った村上幸史さんもいます。 明治維新の功労者となる人物を多く育てた島津斉彬の知恵を早速 ちょっと聞きたいんですけれども人に教えるうえで大事にされている事って どんな事ですか?それは とにかく1から10まで全部その者を知るという事ですね。
今日 見ていくのが島津斉彬という人物で島津斉彬についてはご存じですか?そうですね 西郷隆盛という人物を知るには島津斉彬と。 今日はですねじっくりと見ていきますがまずは藩主になる前の斉彬からひもといていこうと思います。 斉彬は摩藩主・斉興の嫡男として江戸の摩藩邸で生まれました。 調所は「オランダかぶれの斉彬公が当主になれば今度こそ摩藩は破綻します」と警告を発していました。 斉彬の一刻も早い藩主就任を訴えていました。 その大胆さを気に入った斉彬は小松に留学生派遣計画の立案を命じます。
養女になりますけど 13代将軍家定の正室になった篤姫とか自分の保身を考えて上に擦り寄る事もしないんですね。 普通は 利益誘導をすれば言う事を聞くわけだけど絶対 自分が間違ってると思ってる事言う事を聞かないわけですね西郷は。 ですから かえって素直で自分の意見を言わずに先生の意見を尊重しながら聞いてる者よりもむしろ そういうこだわりを持っている者の方がいざ 信頼関係を得た時にはこれは もう絶対的なものですね。
西郷は 「自分は橋本左内に学問においても 人物においても遠く およばなかった」と言って深く死を悼んだそうです。 斉彬は 他にも幕府が長崎に海軍伝習所を開設すると聞くとすぐに航海術に興味を持つ若者を派遣。 外から人が来るのも結構 シャットアウトしてますし自分のところの藩の人間がいろんなところと つきあうのも禁止してるんですね。 さあ 人材育成にたけていた斉彬ですけれども特命店員の前川香菜です。