こころの時代 シリーズ・ブッダ最後の旅に学ぶ 第2回▽自己にたよれ、法にたよれ

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この番組のまとめ

丸井さんの ご専門はインド哲学っていう事なんですがそのインド哲学というのはですねブッダ以前 仏教以前の インドの思想結局 ブッダ以前に花開いたウパニシャッドの思想というのがございましてこれが 一般にインドの哲学が まとまった形で始まったと言われております。 そして私は まあ仏教ではなくてですねウパニシャッドに源はあると思われるような一つの哲学的な伝統を研究しておりますので仏教と無縁ではないという事だと思います。

今 おしゃった その輪廻の思想というのはですね仏教以前のインドには もちろん当然 その時代以前からあったわけでしょうけれどもインドに固有な思想なんですか?輪廻自体は 別に インドに固有とは言えないと思いますけれどもただ やはりとりわけ輪廻思想を前提にしながら様々な宗教思想 哲学が生まれたというのはやっぱり インドの一つの特徴じゃないかと思いますね。

これを克服する道を考えてその道が 最終的に解脱とかあるいは涅槃とか ニルヴァーナとかですねこれが 結局 その生まれ変わりのサイクルの道から100%否定をしていたという事ではないわけですか?そうですね この 100%肯定していたわけでもなく100% 否定していたわけでもなくという事でこれは 研究者によって やっぱり解釈 分かれると思うんですが私自身は 輪廻の考え方はどういう生まれ方があるのかというこの答えを用意しなければいけないという中で「自業自得」とかですね「業」の思想なんかもそこに絡んでくるという事でブ

さて そのアーナンダとの会話に戻りますけれどもすべてを解き明かしたということをこの表現で 表現してると思いますけれどもただ ブッダが教師の握拳という表現を使う中では一方においては 隠すようなそういう風潮だったり相手に合わせて あるいはその状況に合わせて全てを必ずしも解き明かさないと。

この辺のお話を聞いておりますとこの経典ってこの経典の今のところはもう クライマックスといいますかブッダが明らかに自分の死というものを覚悟しそのうえで ここはアーナンダに直接 説いてるわけですけども自分にたよれ 法にたよれというこの教えはこの具体的な場面つまり ブッダが亡くなろうとこの流れの箇所をどう解釈するのかというのはいろんな取り方あると思うんですけどやはり私自身は自己に頼れという中にはブッダに頼るなというですねあなた自分で何とかしなさいというやっぱり この初期の仏教 ブッダの教えあるいは 初期の仏教の

中村先生が 初期の仏教について語る時にこれは パーリ語で「自分」という意味でパーリ語の元にあたる サンスクリット語ではアートマンと言いますけどもこの自分という あるいは 自己自我というものに対する捉え方が中村先生は 2つあるんだと。

つまり 法の明かりを受けて法の明かりに自らが照らされてその明かりを受けて 自らが光るというですね 明かりというこういう解釈が…これは ですからパーリ語の涅槃経の原典を読んだ時にはそのような解釈は恐らく難しいんですけれどもしかし 結局 経典仏教のような長い伝統の中でそれぞれの時代に それぞれの土地でもって 生きていく中にこの生き残っていく中にまあ 言ってみると誤った解釈なのかもしれないですけど逆に それが 膨らみを持って最終的には ブッダの教えの目的を果たすような そういうこれも やはり ブッダの教えの一つ