先人たちの底力 知恵泉「明治の実業家 五代友厚の大阪復興」

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この番組のまとめ

お酒じゃなくて今宵は柴田さんのため 特別五代友厚の知恵味わいましょうよ じゃあ。 明治の初めに 五代友厚は大阪を元気にする事で日本を元気にしようと取り組んだんですよ。 大阪大学の名誉教授で「あさが来た」の時代考証なんとですよ「あさが来た」の あさのモデル広岡浅子が創業に関わった会社の現会長さんでいらっしゃいます。

この地で五代はイギリス商人と交渉し近代兵器の輸入や薩摩の特産品の輸出事業で活躍。 西郷や大久保らが倒幕運動を進める中…新政府は大阪に五代を派遣します。 明治になってからどこに都をうつそうかという時に大阪遷都論というのがありましてそれ 大久保が唱えてたんですね。 大久保は 非常に五代と親しかったといいますか信頼してましたのでその信頼できる人物をとにかく 一番重要な経済都市に送ろうという事は考えた可能性十分あると思いますね。

会社が栄えるか滅びるかはその経営に携わる我々が義務を果たす事は もちろん…商人同士によるさまざまな共同事業が発足。 そういうお手伝いをさせて頂きたいとそこで中小企業の経営者の方に万が一の事があったらその会社が事業が成り立たなくなる可能性があったわけです。

その後 訪れた敗戦後の復興の過程でも食品 繊維など 大阪の企業が日本の経済成長を支えました。 そして80年代以降 日本は「ジャパン アズ ナンバーワン」と呼ばれ世界を席巻する経済大国となります。 五代がつくった中で一番大事なのが商法会議所だと思うんですけどね。 それで商法会議所をつくりましょうと。 それが そのやり方の一つが商法会議所ですね。 人に期待という意味では五代が期待した広岡浅子もその五代のつくったしくみがあってこそうまく成功したという事なんですかね?そうですね。