廃虚になった遊園地を再生したいというのが「遊園地再生」という舞台でした。 この時に 新聞にですね僕の紹介がありましてですね「宮沢章夫 遊園地再生事業団主宰代表作『遊園地再生』」ってこの年に六本木WAVEが閉店してます。 六本木WAVEというのは「メディアショップ」と言われてCDを売ってたりビデオを売ってたりまあ 当時はレコードが中心でしたけどそういった意味では特殊な店だったんですね。
1960年代に生まれた表現者たちがまさに 始まったばかりの90年代を読み解く 「噂だけの世紀末」。 でも 何か… この迷子から近景 中景 遠景これが書かれる前に…上に「世紀末より月末」と書かれたの導かれるような感じしません?まさにね!「グッバイ・フューチャー」と うたった作家の中森明夫は当時を振り返り こう語る。
♪「噂だけの世紀末噂しか残らない世紀末」まあ 90年代に入るにあたってもう これは「世紀末」と言われる時代だけどもそれは噂だけであると。 「それは 日本ではじめての世紀末西暦なんて知らなかった」という。 「日本で はじめての世紀末」確かに そのとおりでね。 誰も体験した事のない世紀末というものについてさまざまに語られてきたわけですよ。 そうですね だから 私 ほんとVTR見ながら これって世紀末の…。
次の日に届くのがですね「でも確かに FAXは無言電話装置であるわけですからそこを使って 何かを表現する事は可能だって事に気付いたんでしょうね。 ほう!だから 「サブカル」って言葉において95年の現象をいくつか見ていくとそこに 「90年代サブカル」っていう特殊な文化潮流がサブカルチャーを語る上でも特別な年だという 1995年。 ある種の「悪趣味系」と言われる文化潮流です。 僕は 「90年代サブカル」という名前でカテゴライズする サブカルチャーの中でも代表されるんじゃないかと。
村崎と親交のあった 80年代から特殊漫画家として活躍する根本 敬も 90年代悪趣味系として くくられていた。 私 正直 今 その何で 90年代サブカルというのに「悪趣味系」と書いてあるのだろうと思ってたんですけど…。 90年代サブカルの出現と 悪趣味系のある種の台頭。 僕らが 幸せだと思ってた時代の背後にでも 「サブカル」っつった時点でこれは 「サブカルチャー」と異なるものになったなというのが僕の実感なんですよ。 「サブカル」と「サブカルチャー」の違い。
その中の一つとしてあの オウム真理教事件地下鉄サリン事件などに関わったあの 主要な幹部のメンバーが1960年代 新人類世代オタク世代だったという事は一つの問題になったしそこで その同世代間で雑誌でものすごいバトルがあったりとかどうしたって 言論の場で何か表現していく時には世代間闘争のような事になってしまってね。