先人たちの底力 知恵泉「正岡子規 心がラクになる五七五~苦難を楽しんだ青春」

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この番組のまとめ

しかし 苦難を前に落ち込むかと思いきや子規は 何とも明るく…子規の知恵を読み解くのは…石原さんは 編集者としてベストセラーを次々と世に放ってきました。 現代の敏腕編集者と明治の文学者 正岡子規。 早速ですが 正岡子規どんなイメージを お持ちですか?今日のテーマはね こちらを掲げてみようと思うんです。 明治16年念願の上京を果たした常規は…ところが…。 原因は このクラスメート…米山は常規と同じコース 116人のうち5人の特待生に選ばれるほどの秀才でした。

子規は好きな事には何でも…当時 アメリカから入ってきたばかりの野球にも大勢の仲間を誘いました。 一方で 漱石もまた子規に 率直に意見を言いました。 同じ時 英語教師として松山にいた漱石は結核がうつる事も恐れず 子規を自分の下宿に住まわせました。 子規が漱石の下宿で過ごした2か月毎日のように友人が訪れ句会が開かれました。 強引で無遠慮にもかかわらず子規が友人たちに慕われるのにはこんな知恵がありました。 そこには 死をみとった子規が仲間に カンパを募り施主として葬儀をとり行った事…。

ほんとは 自分に… 例えばめいっ子に子供が生まれてその子供の事が ほんとに好きな愛情に あふれてるんですけどそれに 本人は気付いてなかったりとかしたら やっぱり今までと恋愛小説とは違う親子の小説を書きませんか とかですね。 こうして 子規は 松山で療養中にも市内を散策し「写生」の句を多く詠もうと試みています。 やがて 子規は…子規が晩年を過ごした家「子規庵」が今も 東京・根岸に再現されています。 身動きが ほとんど取れなくなってからも友人たちは 何度も子規のもとに集い 句会が行われました。