こころの時代~宗教・人生〜「わたしの“出家”生活」

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この番組のまとめ

むしろ そういうものにこだわっているとかえって人生が苦しみになると考えたわけでそこで 出家というのは つまり世俗の普通の生き方では満足できない自分の心に決めた特定の生き方を目指してつくるという事は自分と同じような出家の道を歩く人たちに対して呼びかけて私がやった道で あなたたちもやりませんかという事で弟子というか 仲間を集めて一つの集団をつくる。

したがって出家する人がいた場合には必ず その出家した人たちを支える サポートするそして お弟子さんが周りにたくさん集まりましたが誰一人 この中で生産活動をしている人はいないわけです。 出家をして修行の道を進みながらなおかつ 自分たちのためにあげる人たちは応援する気持ち… つまりこの人たちはもう生産活動をやめてつまり 仕事をやめて自分のやりたい道を一生懸命やってる。

出家は 実は社会システムの中にあるものです。 ただ 「出家」という言葉がねなじみがないので日本に… 日本だけじゃありません全ての人類社会の中に出家社会は存在してるんです。 出家的な世界。 例えば現代においてどんな世界がありますか?代表的な例は やっぱり科学者の世界ですね。 科学者は自分で稼いでないのにそれなりに意味があると思って下さる方たちから私は お給料をもらって暮らしてるわけでそれを思うともう世の中いっぱい出家的な生き方をしている人がいます。

という事は 一切の仕事をやめて全ての生活を お布施に頼って私の授業に出てきてる人たちの中にはインド仏教に大変興味を持って例えばサンスクリット語を勉強したいという人も出てくるわけです。 ところが サンスクリット語を勉強するためにはねうちに帰って やっぱり毎日 2時間も3時間も机に向かわないと身になりません。

それで その時にねご縁がありましてもらった賞品の中に科学図鑑が入ってたんです。 それが あまりすばらしいので今度は そればっかり読むようになってそれで 今度は 私科学者になりたいと思ったんです。 そうやって京都大学の工業化学科というとこに入ったんです。 なぜかといいますとたまたま入った工業化学科の私の入った講座というのがこれがとんでもなく優秀な講座で一番トップのボスは野崎先生という人でした。

その時には やはり仏教学を勉強して帰るべきだろうってそれまで理科系で過ごしてきた佐々木さんにとっては全く未知の領域でした。 サンスクリット語とかねそういった古代のインド語勉強しなくちゃいけない。 だけど もう一度 人生変えましたしだから サンスクリット語の勉強で1年まるまる かかるというそんなんですね。

例えば 超人的な力で世の中を動かしていくとか原因と結果で 自動的に動いていくんだという世界観これは 当時としては画期的な世界観だと 私は思うんですね。

例えば 第1回のノーベル物理学賞をとったのは レントゲンですけれどもこれは 100年たってこうなってるわけですからそういう事を思えば その出家的な人生を送ってる人たちが人生懸けてるような人であってもその人たちを応援する気風がなければその社会からは 本当のイノベーションは起こらないという事なんですね。