SWITCHインタビュー 達人達(たち) アンコール「立川談春×古川周賢」

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この番組のまとめ

新世代の名人と評判の談春が会いたいと名を挙げたのは?東京大学の哲学の博士号を持つ異色の禅僧だ。 談春は 1か月前に古川と出会い…改めてじっくり話したい理由とは?何で聞けないかというと永遠に僕は弟子だし…師匠 私も師匠になるんですが…師匠 あのころ 私たちに教えて頂きましたが…私は教わりに行くんですよ。 「懐かしい~!」なんつってね!師匠の立川談志は100年に一度の天才とも称された落語界の風雲児だった。

1回しかない人生の中で…談春は 修行する意味について話してみたいという。 まず…実際 入ってみると本当に すごいんですか?あまりにも違うんですか?「本当に戒律通り」って…そんな問題発言するんじゃ…。 だけど 修行中だから年が若いから…だから 私も それが取れなくて人一倍先輩に迷惑かけたんです。 だけど 手抜きじゃなくてどっかで割り切って…枠を自分で決めて 手抜きかしょせん それだけのもんだしここまで頑張れる人はそこまで頑張るだけの事だしそのために 道場で365日 24時間態勢で何年も修行する。

禅問答って どんな事するんですか?例えば あの~何だっけ?「その3」とか言うんですか?あれは まあ 昔のスタイルですけど例えば両手で音がするじゃないですか。 古川は 出家する前東大の大学院で哲学を学び何で 東大で哲学をやろうと思うんですか?哲学って どういう興味を持つと学ぼうと思うんですか?いえいえ まあ 実は 私は…日フィルのビオラ奏者してた人間で体を壊して先生になったんですけどもそれで 音楽に憧れて本当 音楽大好きだったんですね。

絶対的なものって根拠がないから絶対的なんですよ。 ところが 今の社会って絶対的って言っちゃうとみんな めいめい絶対性が違ってくるからそんな事を認めちゃったら…何やって食ってくんだろうとか思ったけど今ね 自分の選択は正しかったっていう事をね。 このお不動さんがだから 武田信玄公が自分の像を対面で等身大で彫らせてそれを不動明王の形にしたといわれている。 三門には織田信長軍に火を放たれた際快川和尚が最期に唱えた「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」の文字がある。

落語家はその日の客層や雰囲気を見て演目を決める事が多い。 何だ唐茄子屋って 売ってるの?売ってんのはいいけど何で ガタガタ ガタガタやってんだよ」。 でも 私が前 どっかで読んだそういう落語の方の芸談だともう本当の名人になってくると出てきた瞬間からみんな笑い始めているっていうんですけどでもまあ いると後ろからも すごい…ちょうど私の真後ろの人が大好きな人でもう 何か一挙一動に喜んでましたよ。

『私は 木村権太夫と申する者で「えっ? 何?木村権太夫が2人なの?」。 使者野郎が『お?』っつったよ。 一瞬早く 使者野郎の方が我に返ったんだな。 木村権太夫は それがしにございます』。 「木村の旦那はあきれきっちゃって『早速に使者の口上を』っつったら使者の口上をっつったら何つったと思う? お前。 それが 実は原点で今は もっと複雑ですごい事をみんな言ってるように見えて実は 本当に…立川談春は…埼玉県戸田市で少年時代を過ごした。 中学を卒業する直前に聞いた立川談志の落語に衝撃を受け17歳で入門を決意した。

しゃべり方も 落語口調でそれは今の時代に合わなくて。 どこに 引かれたんですかね?僕はね え~…学校の先生が文庫本をくれて面白いなと思ってた。 それで今度 たけしさんを筆頭とした漫才ブームが思春期だったんで漫才の方が面白かったんですが…だから 僕ら あのころ 入った頃に自分で よく言ってたのは 僕は…カリスマだった。 落語協会を脱退し独自の道を歩み始めてからも談志のもとには弟子入りを希望する者が続々と集まった。