特に 死期が近づいてきたブッダにとっては自分の死後 どういうふうに教えが守られていくのかというのが「これだけは伝えなければいけない事」という事がこの経典の中に 大切なものが書かれているわけでその意味でも 第4章の今回扱う個所というのはこの経典の重要なメッセージの一つだろうというふうに考えられますが もう一つこの「奇跡話」ですかね。
ですから 口伝であるからといって正確に伝わらないかというとやはり その教えがブッダが在世の時には恐らく ブッダが在世の時からこういうものは 問題になってきたと思いますけれども亡くなって以降 ブッダにとって極めて 重大な関心事になるという事は当然ですね。 その吟味のしかたが例えば 経典に引き合わせて一応 四つの場合に分けて提示して それが四大中村先生は 「四大教示」と訳されているわけですね。 何しろ まあ何年間ですかブッダが説法してた計算すると。
私はですね 渡辺照宏先生がここにある解説を加えていらっしゃるんですけどもこの「他の人たちにはあげるな」という そこの解釈についてはこれは 他の宗教の中でも よく出てくるお話であるとかいってそれから 仏典の中でも「スッタニパータ」という古い原始仏典の一つの中でもブッダが あるバラモンから乳粥を差し出されてこういうお話が出てるのでそれに即していきますと別に これはきのこが毒である必要はなくて「自分が食べ残したものはもう食べてはいけない」とそういうストーリーに つながっていくという事ですのでそちらは なかなか
この後 ブッダはプックサという名の異なる宗教を信仰している者に出会い 自分の体験を話しました。 この アーラーラ・カーラーマという仙人は実は ブッダが修行時代ですね悟りを開く修行時代に1人で苦行する前に2人の先生についてブッダが これから亡くなろうという場面で すれ違うという事それが非常に ある種偶然の出来事で。
「戒・定・慧の三学」という実践法のお話した事あると思いますけど精神統一が 「定」ですが精神統一に至るまでにはまず 日頃の行動ですね これを慎んでいくという形でもって精神統一の準備段階を果たすんですけどヨーガの八実習法という中にもやはり戒めの部分がありましてその1か所を見てみますと例えば 「非暴力」つまりその行者さんが生きとし生けるものに対していわば 慈しみの心でもって殺めないという事を徹していくと周りの人たちも そういう敵意を捨てるようになるという。
この「パーリ涅槃経」の中ではスーカラ・マッダヴァという特別に ブッダに出してそれが 食中毒を起こしてブッダの入滅を早めてしまったという事で確かに ですから それを出したチュンダからすると周りの人々から責められてくるだろうと。