先人たちの底力 知恵泉▽冒険の旅に出たい!松浦武四郎人生をワクワクさせる極意

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この番組のまとめ

「北海道の名付け親」とも呼ばれる武四郎。 わざわざ 今日はね取り寄せましたよ 「松浦武四郎」。 1818年 4人兄弟の末っ子に生まれた武四郎は幼い頃から お伊勢参りへの参詣客に接します。 絵を ふんだんに使い各地の町や野山を楽しめる名所図会を眺めながら武四郎は まだ見ぬ世界への冒険心で 胸を満たしました。 19歳で 四国八十八ヶ所を巡礼し日本を代表する山富士山出羽三山の一つに数えられる山形の月山実は 旅に出る前 武四郎が考え抜いた知恵があったのです。

という事は 武四郎も旅先で知り合った この人に宿や食事の世話になった事が推測されます。 しかし 広大な蝦夷地の地理は未知の部分が多く幕府が対応に困っているというのです。 まだ見た事のない土地の話に武四郎の血が騒ぎます。 武四郎 第2の冒険旅行が始まろうとしていました。 しかしね 今強みの話が出ましたけれどもああいう発想が できたんですね武四郎っていうのは。 誰に頼まれたわけでもないのに蝦夷地にやって来た 武四郎。 武四郎の蝦夷地調査は足かけ13年 6回。 まずは 蝦夷地の南側を知床半島まで調査。

武四郎は調査の手伝いをしてくれたナイホソというアイヌに報いようと幕府の役人に相談します。 ナイホソが 和人と同じ髷を結い羽織姿で現れたのを武四郎はほほ笑ましく見ていましたが…。 まず 武四郎が作ったのが…アイヌの文化や風習を紹介する画集です。 武四郎のこの試みは 大ヒット!「多気志楼物」と呼ばれ大人気シリーズになりました。 武四郎はアイヌから搾取する統治体制を改める事を政府に要求。 武四郎が 明治政府に廃止を求めたアイヌから搾取する体制はなし崩しに続いていました。