先人たちの底力 知恵泉 逆境を乗り越えるには?「岡本太郎 “爆発”への道」

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この番組のまとめ

今日は あなたの悩みを豪快に吹き飛ばすあの天才芸術家が登場しますよ!昭和を エネルギッシュに駆け抜けた芸術界の巨匠です。 流行に敏感な若者たちの街下北沢の書店でも最新カルチャーの書籍をしのぐ勢いで岡本太郎のコーナーが大人気。 「生まれながらの大天才」に見える岡本太郎。 増田さん 今夜は岡本太郎ですよ。 岡本太郎さんね。 言うたら 多分一番 最初に覚えた芸術家が岡本太郎さんの世代かも分かんないですね。 ♪~今回 岡本太郎の知恵を読み解くのはシンガーソングライター 美輪明宏さん。

最初の出会いは?今は もうなくなりましたけどもね銀座の7丁目に「銀巴里」というシャンソンの喫茶店なんですけどもそしたら 岡本さんが「はい」って言っていらして「巴里の屋根の下」というねフランス映画の主題歌でそれを フランス語で上手にお歌いになって。 小中高と 苦しい学校生活を強いられた太郎のもとに家に 親の愛人がしかも お母さんの愛人が一緒に住んでる。

後の大芸術家 岡本太郎がいかにして生まれる事になったのか青年太郎の知恵をここからは味わって頂きます。 普通の美術だとそれこそ直感とかあるいは 抽象操作とかそういう事になるわけですけど太郎は 民族学をやっていたがために… 恐らくね。 これはね 日本の民族の中にそういう血が残っててその間違っていないという思いに至ったのはそうですね 太郎は人間は生まれながらにして多分 そういう事を言ってんだと思いますね。

太郎は兵役を解かれた後収容所生活を経て大陸から帰国します。 太郎の絵に対し「色彩感覚がゼロだ」とか「岡本太郎が10年後に残っていたら首をやる」など画壇で徒党を組んだ バッシングが始まります。 圧倒的なオリジナリティーを持つ芸術家として不動の地位を確立していく太郎。 太郎さんも石器時代だと言ったり四番目がいいと言ったり趣味とか好みでもそういう傾向ってあるんですか?一番有名なのはスキーだと思いますけど。

いや 太郎さんのお話…。 主人公ゆかりの地からとっておきのネタを お届けする…港区青山の岡本太郎記念館にやって来ました。 ここね 1954年に 太郎が初めて自分のアトリエを建てたんですね。 パリ時代の盟友だった坂倉準三っていうコルビュジエの弟子の有名な建築家がいますけど彼に頼んで造ったもので当時のままなんですよ。 おっ 太郎さん! いらっしゃった。 びっくりした!応接間でひときわ目立っていたのはえ 太郎さん?いやいや 実はこれ本物そっくりに作った人形なんです。 太郎本人ですよ。

ですからここの未完成のもの自体がもしかしたら岡本太郎さんの作品。 最後に お邪魔したのは記念館の2階太郎が過ごしたプライベート空間です。 太郎は アトリエで描いている絵が行き詰まると庭へ行き 彫刻の制作それも続かなければ2階へ上がり執筆作業といったこの3か所をぐるぐる回る生活をしていました。 美輪さん いかがでしたか?普通の美術館というのはいかにも こしらえた絵だけを見せる美術館とかそういうふうなところが多いじゃありませんか。 でも ここは 生活全部が美術館になってるから…。