こころの時代 アンコール シリーズ 私の戦後70年「今、あの日々を思う」

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この番組のまとめ

♪~今年の春 神戸の美術館で堀さんの展覧会が開かれました。 日中戦争が始まり 国家総動員法が制定された時代の作品です。 戦中から戦後にかけて 堀さんは師弟関係に縛られた伝統的な日本画壇とは一線を画し革新的な日本画を模索していました。 「時流をよそに脱俗を夢見て私は一所不住の旅を続けてきた」。 ですから 私のような職人はねものづくりの職人はね第1次世界大戦が終結した年でした。 生家は 皇居や政治の中心にほど近い東京・麹町 平河町。 母は 明治生まれには珍しい高等女学校で学んだ人でした。

1923年9月の関東大震災は平河町の自宅で経験しています。 今でも鮮明にね夢にも現れてきますけどねタイサンボクの木にね大きな太い幹の枝の所をねあんなのがね目に焼きついてますね。 ねぇ~?人間がこんなにうろたえてもカマキリは平気なんだなっていう私は あれほどねインテリというものの厳しい姿勢を見た事のないような人でした。 それで それまではね麹町の平河町ですから永田町小学校というとこへ通ってるんです。 それから 下の方に伏見宮とかね宮邸があってね 毎日ね…永田町小学校の前をお通りになるんです。

一つのきっかけになったのが二・二六事件っていうふうに…。 その二・二六事件の最後までをつぶさにご覧になったわけですか?見ました。 2か月後 堀さんは女子美術専門学校日本画部に入学します。 帝国憲法に反するとの声もある中で国家総動員法を制定して労働や物資 言論などを統制できる体制をつくっていきました。 軍が支配してね 学校という学校を軍が支配していくんですけどね「あなたは何のために絵を描くのか?」って言うの。 「天皇陛下のために描くんだって言え」って言うの。

堀さんは作物の記録画を描く一方「新美術人協会」の公募展への出品を続けます。 絵の素材や構図も伝統的な日本画にとらわれない実験的で斬新な表現を模索。 堀さんは 同じ新美術人協会に所属する画家柴田安子さんと共に落下傘工場を取材。 画家でないとね軍のさ いろんな機具をつくる女工さんにさせられるのでやっぱり少しはね協力したようにしなきゃなんないので私ね 落下傘はね 女の人で絵になるなと思ったから落下傘工場を選んだんです。

それから 若返りたいとかね子供っぽく子供声を張り上げてねアナウンサーまで ヒーヒー声でね聞こえないです。 国家なり権力に反抗するにはね相当の勇気とねあれが要りますね 知恵が。 そういうね軍国主義に反対するような軍に捕まらないための知恵は働いてました。 だから 人間にはね先祖からの血の中にねDNAでね 好きな風景や何か残ってんじゃないでしょうか。 父からの教えで戦争に批判的だった兄は中国で戦死。 あの 堀さんは子供向けの絵本だといっても…。