先人たちの底力 知恵泉 お宝発掘、助けます「渋沢栄一」

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この番組のまとめ

渋沢は 全国各地で銀行や鉄道の設立を進め日本全国全ての市町村に足を運び町おこしの実態を調査してきました。 藻谷さんは今 地域が生き残る方法として「里山資本主義」を提言しています。 今宵 地域振興の伝道師藻谷さんは渋沢の知恵を どう読み解くのか?今日は 渋沢栄一の知恵を味わって頂きます。 ユカイさんは 現在栃木県佐野市にお住まいで「とちぎ未来大使」なるものをされていると。 多分 地元の人からね言われませんでした?え ダイアモンドユカイさんそんな有名な人があなた佐野に住むってね。

青年期の時から村の人みんなを まとめてそして みんなのやる気をモチベーションを上げてですね村全体の生産力を高めて そしてみんなが豊かになるという事でパリで開かれる万国博覧会の使節団に抜擢されました。 多くの人が参加する仕組みを作れば日本が変わるのではないか?このあと渋沢は 民間の立場から新しい社会の実現を目指します。 明治6年 渋沢は第一国立銀行の開業にこぎ着けました。

ちょうど 日清戦争が終わり日本に建築ブームが到来。 地方から日本の近代化を支える重要な存在となったのです。 例えば日本人は みんな当時和服 着てますよね。 日本の社会をね 資本主義社会のはじめから いろいろなプラン日本の人口が 爆発的に増えていく時代であり何もないところから同時に西洋に追いついていかなければいけない時代でしたね。 今は もう逆でして 日本は世界に先駆けて人口が減っていく。 日本の中で 他の日本全体より更に 30年ぐらい先にいって高齢化してる地域はいっぱい ありましてね。

渋沢は 全国各地の銀行設立に手を貸していきます。 更には 長岡から人を呼んで第一国立銀行で 銀行業務に必要な複雑な簿記の習得にも当たらせていきます。 岸は 新潟の石油資源の開発に乗り出し岸が設立に関わった 日本石油はその後 合併を繰り返し現在では 石油元売りの国内最大手の企業にまで発展しました。 こうした 渋沢マインドを理解したパートナーたちと二人三脚をしながら渋沢は地域振興を進めていったのです。

そして 耐熱レンガを使った暖炉は洋風の造り70歳を迎えた渋沢は会社の役職の大半を辞めて実は 渋沢栄一が70古希を迎えた時にそして 「論語」は渋沢が その倫理観を大切に生きてきた事を意味しています。 渋沢栄一を見てると 地域振興にも国にも全部通じる事なんですが企業も同じなんだけど何のために やってるんですかという事をこの人は 答えを持ってやってたと思うんですよね。