ETV特集 アンコール「むのたけじ 100歳の不屈」

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この番組のまとめ

21歳で新聞記者になったが…30歳で やめた。 この日 私は朝日新聞社を辞めた。 私の講演に行って一生懸命 しゃべって終わって ここへ座ってる時「ああ 元気が出てきた。 お正月早々 お邪魔しちゃって。 「よく眠る事 よく食べる事それを やってきたからでしょう」なんて言っておったんですがただ ず~っと病気がほとんど なかったんですけども60代になって眼底出血やってそして不思議な事に80代の半ばから 命取りの病気が次々と来るんですよ。

それに比べて 周りには地主とか商店の経営者とか役人とかいろんな人々がね 楽しながら暮らしてるのを見てまだ小学校へ入らない前の子の目で見た世の中のこれが 私を新聞記者にしたのだと思います。 『夫が お国のために立派に働いた軍国の妻として日本は「国民政府を対手とせず」と唱え私は 国会議事堂の記者席でその全てを目撃した。 斎藤隆夫だ! ハッハハハ。 新聞記者仲間は やっぱり みんなもう注目しておったんだけども。 新聞の論調も 世論を受け斎藤隆夫に批判的だった。

昭和16年12月8日太平洋戦争が勃発。 日本の政策は大東亜共栄圏を スローガンにいつも私が ジャカルタ市長 どこになるのかなと言っておったらある時 その斎藤副官が「むのさん こうだよ~。 これは 日本の朝日新聞へ送れば2面か3面の1段で片づけられるけどアジアの諸国が これを見れば みんな「あ~」と言って反応が起きるぞ。 ここに 新しいジャカルタ市長に現地人ではなく日本人が任命された事実が小さく載った。 太平洋戦争は東條内閣で始まった。 東條内閣は 学徒動員学童疎開などを決め国民を根こそぎ決戦に向かわせた。

だから あの ものすごい爆撃に耐えながらね 座禅をしながら真っ黒焦げになっていった人間もいるんだという事実にもう ものすごくね こっちは まあ30歳そこそこの人間ですからすごく ショックを受けましてね。 ごく当たり前の学校へ通うねごく当たり前の職人として東京下町で働いていた人間ですよ。 要するに 社会の現実の歩みから人間に対して語りかけている事を古い世代の責任者として伝えるのがね私どもの仕事の要だと思ったもんだから。