こころの時代~宗教・人生〜「迷いの人生 白隠に出会う」

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この番組のまとめ

白隠さんっていうのはね5歳の時ですよこの 原は海に面しておりますので海岸で流れていく雲を見まして白隠禅師は 「地獄に始まり地獄に終わった」というふうに言われている一面があります。 白隠は 自ら地獄に身を置いて衆生を救う菩薩道こそが中でも 「寿」の字を書体を変えていくつも書いたこの「百寿図」には民の心の平安を願う白隠のメッセージが込められていると松下さんは言います。

私は 中学校時代から山岳部にいたんですけどもその山岳部がいつも夏になりますとそうすると 一生懸命 働いて汗まみれになります。 そして同時に 霧島の山というのは山が深くてですねそれが済んで終わってみると体と心のバランスがとれましてだからもう受験勉強から抜け出してしかし時は まさに学園紛争の前夜。 全体的な雰囲気でとにかく そういう学園の問題ベトナム戦争はじめとする 時事の問題に学生は 当然 関わるべきであるというような風潮がまず あったわけであります。 まあ その学園紛争もですね最終的には 終息しますね。

日本人であれば 日本人としての魂というか精神というか文化と言おうか そういうものをちゃんとわきまえたうえで海外の生活をしたい。 海外の人と接触…おつきあいしたいという思いが募っておりましたので当時は 日本は非常に勢いよくて海外からは当然 批判がありまして「エコノミックアニマル」。 まあ いわば ゼニゲバ 日本人はというようなキャンペーンが張られた時代でありました。

なんと言っても やっぱりつらくてですね怖くて 情けなかったのはやっぱり 「公案」初めて与えられる公案を「初関」と言いますけれども「無字の公案」という公案が老師から与えられてそれが さっぱり手がつかなかったという事です。 無字の公案というのはどういうものなんですか?これは 中国の逸話というか因縁話がございまして趙州和尚というところに一人の雲水が訪ねてきましたと。 白隠は 一番最初に無字の公案を置いています。

ずっと通らないで来てそれ以外でというのは どういう事ですか?いや 他にですね初関で有名なのは白隠禅師が お作りになられた…前から本を読んで 是非この老師に参禅しようと思ったのが当時 神戸の祥福寺という専門道場の山田無文という老師様のところに参禅したわけであります。 だから やっぱり 自分がそういう体験を頂くにはやっぱり宋淵老師 宗忠老師はもちろんですがただひたすらに精進する日々が続いたと 松下さんは言います。 まず 宋淵老師にご挨拶に行きます。